栗谷津公園

住所 針ヶ谷1-4

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概要

昭和61年(1986)、土地区画整理事業の一環として開園しました。公園内には「不動様の流れ」と呼ばれる水量豊かな湧水があり、下流の沢では市内最古の水田跡が発見されています。この泉は、むかし近隣農家の飲料、生活用水として利用されていました。また、清水の湧き出すところには嘉永元年(1848)、地元有力者6名により倶利伽羅不動明王の石塔が造立され水神として祀られています。その他「どじょう」にまつわる伝説がのこされています。

口コミ

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    説明板と「倶利伽羅不動明王」由来碑の内容を写す

    ◆栗谷津公園 (くりやつ)

     この公園は、針ヶ谷(はりがや)特定区間整理事業によって公園用地として確保され、昭和60年度に整備されたものである。自然な景観の公園にするため、区画整理前の傾斜や自然木(杉)をそのまま残している。特にこの杉林の中の谷間は、沢の水源地となり、湧水が枯れることなく流れている。地元の人々は「不動様の流れ」と呼び、公園内にはこの不動様(倶利伽羅不動明王)の石塔のわきから出ている湧水を利用した池がある。昔の人たちは不動様の流れを飲み水として利用した時もあり、下流の水田はこの泉と他の2ヶ所からの湧水で田作りをしていた。そのため流れを荒らされないようにと願うところから、次のような伝説が生まれた。
      「ある時、一人の若者がこの小川からドジョウをたくさん捕らえ、家で鍋に入れて食べようとした。しばらくして煮えたと思い、ふたを取ったところ、中にはドジョウはなく、ただ血が煮え返っていた。その後、この小川のドジョウを取るものはいなかった。」と伝えられる。
    平成5年3月 埼玉県富士見市

    ◆倶利伽羅不動明王(くりからふどうみょうおう) 由来

     この池の水源は、年中枯れることなく流れ、栗谷ッ不動様の流れと云われ 湧水の所には「倶利伽羅不動明王」の石塔が立っている。
     この泉は、昔近隣農家の飲水、或は生活用水として欠かすことの出来ない水源であり、又、下流の水田数町歩に渡る田作り用水として利用されておりました。
     不動明王の石塔は、利剣に龍が四ツ足をからませて巻きつき、剣先をのまんとするもので背後には火焔が燃え上がった状態が表現され不動明王の象徴である。
     これは昔、不動明王が外道と論争した時 智火剣に変身し、或は更に倶利伽羅大龍に変身し敵を威圧して屈伏せしめた。また、龍王に祈れば雨を降らせ病気を治す、このような教理を祈願し、日願主、各組世話人(石塔に陰刻)の6人により嘉永元戌申年六月、この石塔が建造された。
     由緒あるこの地を、永遠に保存する意を以って針ヶ谷特定土地区画整理業の一環として用地を確保し、栗谷津公園と命名しここに築造する
    昭和61年1月 針ヶ谷特定土地区画整理組合
    由来碑寄贈 日願主 高野七五郎 末裔 高野章子

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