東上線月見橋

住所 水子6312−11

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概要

大正3年(1914)、東上線を敷設する際、堀削された場所に人道橋として架橋されました。昭和28年(1953)に2代目が架橋され、その後老朽化が進み、東武鉄道は撤去しようとしましたが、住民が「生活の架け橋を残して」と運動し、平成22年(2010)7月6日に3代目の竣工式が行われました。

口コミ

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    東上線月見橋(つきみばし)の説明板の内容を写す

     この橋は、大正3年(1914年)東上線鉄道敷設工事により水谷地区の台地を切り通したことにより地区が分断されることから、生活のための通路として架けられたのが始まりで、当時は月見橋と呼ばれていたとのことです。
     昭和28年(1953年)複線化により2代目の架け替えが行われ利用してきましたが、老朽化により平成22年(2010年)6月、3代目となる現在の橋に架け替えられました。
     初代から3代目の架け替えに至るまでの96年間の永きに亘り、水子と針ヶ谷の生活の架け橋として、地域の皆様に、親しまれてきたことから、橋名を月見橋と致しました。
     これからも地域の大切なシンボルとして存続することを希望します。

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