渡戸観音堂

住所 鶴馬3625−1

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概要

堂の創立は不詳ですが、文化7年(1810)本堂新築上棟が行われた記録があります。堂内には、その後、文政8年(1825)に作られた「須彌壇(しゅみだん)」があります。本尊になっている寛文4年(1664)甲辰(きのえたつ)正月18日と刻まれた像は市内最古といわれています。石仏像は、元渡戸にあって明治8年(1875)に廃寺となった光明寺(天台宗)のものが移され、併せて光明寺の本尊阿弥陀如来像も観音堂に移されたと考えられています。境内にある元禄3年(1690)の馬頭観音は、1基だけ馬の姿を浮き彫りにした特異なもので、入間東部では唯一のものといわれています。

口コミ

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    ふじみの坂・・・観音坂・お観音の坂

     昔は村名、字名は一部の居住する地域に限られていたため、名のない地域の目印として坂名や塚名があったと考えられます。坂名のある坂付近には神社・仏閣・石仏・湧水などが多いですが、その坂も現在では道路の改修等により、曲つていた坂が直線的になったり、急坂がなだらかになったりして命名された時代の坂とは異なってきているものの、散策していると富士見の歴史を感じ取ることができます。
     
    【観音坂・お観音の坂】
     鶴瀬小学校から北に向かうと交差点「羽沢」→交差点「渡戸」を通って台地(鶴瀬支台)から砂川堀の渡戸橋へ移るところは急坂であった。坂の上には「渡戸観音堂」が建てられているので、「お観音の坂」と呼ばれていたが、いつの間にか「観音坂」と呼ばれるようになった。
     昭和7年~8年(1932~33)にかけて道路改修工事が行われ、現在の比較的なだらかな坂に変わった。坂の傍らには、道路改修工事「竣工記念」の碑が建ち工事請負者はもとより、鶴馬村青年団の多くの勤労奉仕があったことを知ることができる。

    ※坂名の説明は、ふるさと探訪部会の「ふじみの坂」冊子を参照した。

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