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最新口コミ

  • 田園風景<夕日・夕焼けを映す水田> / 富士見市第2運動公園

     田植えから苗が根づく頃の水田には沢山の水が貯えられている。まだ苗の背丈も高くないので、このころの夕日・夕焼けは水田に良く映る。特に、南畑地区の水田は大区画(標準100mX200m)となっているので美しい。

    2018/05/26 22:50:50  拍手(0)

  • 田園風景<麦(乾田)と水田> / 南畑排水樋管あたりの荒川土手

     今年の田園風景は麦(乾田)と水田が同時に見られる。昔は2毛作で一斉に切り替わったと思われるが、近年は減反政策で水田だけの風景だった。今年は減反政策が廃止となったので、このような変化となったようだ(?)。農家の苦労はいざ知らず、麦色と水田の対比が美しい田園風景は珍しい。

    2018/05/26 22:45:10  拍手(0)

  • 田園風景<水田と富士山> / 砂塚橋

     散策人が好んで訪れる「富士見市の田園風景」。そのスポットは「砂塚橋」と「びん沼橋の間の土手。  昨夜の急な寒さの戻りと強風により、今日(5/20)はクリアな空気となり、久しぶりに富士山を見ることが出来た。丁度、田植えが終わり、植継ぎ作業(?)をされていて、より一層好きな田園風景となりました。

    2018/05/20 20:16:30  拍手(0)

  • ふじみの坂・・・石井坂・大阪 / 勝軍地蔵

     昨日(5/12)散策していたら「石井坂上」の道標(みちしるべ)があった。かつて、「石井坂」の道標を設置しました・・・水谷公民館だより第423号(平成29年9月号)・・・の記事を見て、この町内会の「ふるさと愛」は素晴らしいと感じたことを思い出した。  昔は、坂道を住所のかわりの目印として字名や愛着のある坂名がついていた。現在は、その坂名の道標もなく、無意識のうちに「ふるさと喪失」をしている感がある。ご存知のように都内を歩けば坂名の道標は立っている。 【石井坂・大阪】  水子に「勝軍地蔵」と「八雲社」の石碑がある。その先が「石井坂」である。 小字名の石井からそう呼ばれたものと思われる。また、この坂は昔から急坂で荷車を牽いて上るのは大変で「大阪」とも呼ばれていた。坂を下る途中、左の高台に稲荷社があり、ここは鎌倉道と交差するところでもあった。 ※坂名の説明は、ふるさと探訪部会が作成した「ふじみの坂」冊子を参照した。 「石井坂」を上って右に少し歩くと「勝軍地蔵」の石碑がある・・・このような表現で場所を表現できればと秘かに思っている。

    2018/05/13 18:26:29  拍手(0)

  • ふじみの坂・・・堂山坂 / 南通遺跡の復元住居(弥生時代)

     富士見市には低地から台地、小河川に挟まれて台地から台地へと、多くの坂道がある。昔はその坂道を住所のかわりの目印としていたので、字名だけでなく愛着のある個性的な坂名がついている。さらに、その坂名に伝説などあれば、より歴史を感じながら歩くことができる。 【堂山坂】  針ヶ谷小学校から浦所バイパスに通じる坂道を「堂山坂」という。昔、坂の下まで柳瀬川が流れていたとき、大蛇の胴が流れつき、胴塚を築いて葬ったので「胴坂」と呼んだが、後に「堂山」と書くようになったという。  この話は柳瀬川流域の志木、新座、針ヶ谷あたりに伝わっている伝説で、平安時代に、この一帯を支配していた藤原長勝(おさかつ)は広大な大蛇ヶ淵(おろちがふち)を水田に変えようとしたが、大蛇の怒りに触れて工事は失敗してしまった。そこで、不動明王の助けをかりて大蛇の首を刎(は)ねることができた。胴体は針ヶ谷に流れ着き、首は下流の長勝の館(現、志木第二小付近)の裏で発見されたので、祠を建て「首弁天(かしらべんてん)」と名付けて弔ったという。 ※坂名の説明は、ふるさと探訪部会が作成した「ふじみの坂」冊子を参照した。

    2018/05/06 16:22:18  拍手(0)