大澤家長屋門

住所 東大久保173

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概要

大澤家は、伝承によれが天正18年(1590)にこの土地に土着し、代々大久保村の名主をつとめた家柄であり、長屋門形式の表門はその象徴ともいえる建物です。慶応2年(1866)の武州一揆(百姓一揆)による打ちこわしの際につけられたとされる刃物傷が今でも残り、建築年代を知ることができます。また穀蔵から米を持ち出され、庭一杯にばらまかれたともいいます。なお、主屋は難波田城公園に移築され保存されています。個人宅ですので長屋門の中には入れません。

口コミ

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    富士見市の指定有形文化財・建造物の説明版の内容を写す

    有形文化財(建造物)
    大澤家住宅・表門(長屋門)
               平成5年7月7日指定
     大澤家は、伝承によれば天正18年(1590)に当地に土着し、代々大久保村の名主をつとめた家柄であり、長屋門形式の表門はその象徴ともいえる建物です。
     規模は、桁行10.5間、梁間2間で、壁の上部を白漆喰、下部を板張としています。屋根は、寄棟造りで、昭和10年頃の改築の際に瓦葺きにしましたが、かつては草葺きでした。門の内部は板床の「上長屋」と土間の「下長屋」に分かれています。
     柱には、慶応2年(1866)の武州一揆の際に付けられたとされる刃物傷が残り、建築年代の古さを知ることができます。
     平成19年(2007)の修理では、土台の修正、屋根瓦の葺替えのほか、正面の壁を柱の痕跡などをもとに改築以前の姿に復元しました。
     大澤家の屋敷構えは、主屋(市指定・難波田城公園に移築)を中心に、正面に表門、東に穀蔵(市指定)が配され、かつては土蔵・味噌蔵・文庫蔵・養蚕小屋・灰小屋・離れ座敷なども建てられていました。
               富士見市教育委員会
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    *個人宅ですので長屋門の中には入れませんので、ご注意ください*
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