一寸太助ているつもり さんの口コミ / 性蓮寺

性蓮寺
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性蓮寺の近くにある、説明板「鎌倉道」の内容を写す

鎌倉道

 鎌倉道は、中世、関東及び周辺諸国の御家人が「いざ鎌倉」というときに鎌倉へ参集するために整備された道路である。
 政治的・軍事的な意味での道だけでなく、伝馬道として物資の輸送流通という役割と、文化伝播という学問・宗教の発達にも大いに貢献した道である。
 当時は、上道・中道・下道と呼ばれる幹線道路があり、埼玉県内には上道・中道が南北に通っていた。
 富士見市内を通る鎌倉道は、上道・中道以外の県内各地に残されている伝承道の一つで、「羽根倉(はねくら)道」ともいわれる。この道は、中道より与野へ至り、ここから南下し羽根倉で荒川を渡り、志木の宗岡(むねおか)を経て市内の下南畑(なんばた)・水子(みずこ)・針ヶ谷(はりがや)を通り、所沢で上道とつながり、府中・鎌倉へ続いていたものである。この道を通った高麗経澄(こまつねずみ)が難波田(なんばた)九郎三郎を打ち破った羽根倉合戦(1351・観応2)の古戦場がこの鎌倉道沿いにある。
     平成5年3月
          埼玉県
          富士見市
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この説明板の立っている場所がスポット地として登録されていないので、近くのスポット地である「性蓮寺」で口コミした。場所は「性蓮寺」に向って右脇道をゆくと立っている。説明板のすぐそばには「お井戸」(湧水池)があり二基の弁財天が祀られている。

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