来迎寺

住所 鶴馬2-1-49

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概要

西雲山光明院来迎寺(らいごうじ)といい、天台宗で開山・開祖は不明ですが、鎌倉時代創建といわれています。本尊は阿弥陀如来像です。境内には「六地蔵」や女人講中68人で建立した享保8年(1723)の延命地蔵などがあります。宝暦年間(1751~1764)晃順という住職が寺子屋を開設し、寺子15人の記録が残されています。明治になって政府の学制発布を受け、鶴馬、水子など8村が連合して、明治6年(1873)11月に鶴馬学校が開校されました。

口コミ

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    記念碑の内容を写す

     抑々 當山の草創は遠く慈覺大師とも鎌倉時代とも云われているが定かではない 当時は西の方、柿沢に建立されたらしいが再三の火災に遭い その都度移転し此の地に再建されて現在に至っていると云い伝えられている 旧堂宇は今から凡そ三百年前に僅か数十戸の檀信徒各位の篤い護法崇祖の念と浄財によって建立されたものであった
     爾来 年々発展し近在の信仰の道場として栄え わけても延享の頃より安政の頃にかけて、即ち秀順・永運・蓮海日光須・叡渕・義渕・智道・貫真・恵教・順海等の各和尚の徳を慕い遠く別所・内間木村・膝折方面からの参詣も盛んであった 然し明治の中頃から暫らくの間 無住の時代が続いた為に往時の面影が薄れてしまったのが残念である
     近年に至り 先住眞海和尚来住し本堂・庫裡の大修理を行い境内等の整備が行なわれ信仰の道場として、又 ご先祖さまの永眠の霊場としてふさわしい姿となった
     しかしながら幾星霜経た堂宇は損傷甚だしく ついに改築のやむなきに至り住職及び世話人各位の発願により建築委員並に檀信徒各位の五年間もの長期に渉る物心両面の尽力により現在の本堂が完成されたのである
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    本堂落慶記念
    昭和五十六年十一月吉日

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