針ヶ谷氷川神社に隣接する「針ヶ谷中央公園」の記念碑の内容を写す
碑文
この地は、武蔵野台地を流れる棚瀬川の左岸、標高約20mの台地上に立地する。富士見市が海であった縄文時代には貝塚、また、弥生時代には谷の湧き水をめぐるように大きな集落が形成され稲作も行われいた。原始・古代より人々が生活していた針ヶ谷地区は近世には畑作を中心とした村としてこれまで営まれてきた。
本市最初の区画整理事業であるみずほ台土地区画整理事業地区の一部であったが時期尚早などの意見により、この針ヶ谷地区を外した事業として決定した。しかし、地元の地権者による、健全な街づくりへの熱意は日増しに高まり区画整理事業の気運が熟し、説明会、関係機関との協議を重ねるとともに準備委員会を経て、昭和53年11月14日に埼玉県知事の認可を得、「針ヶ谷特定土地区画整理組合」が誕生した。
施行面積42・5ha、総事業費60億3千7百万円の巨費を投じ、都市計画道路、区画道路、公園、上下水道等を整備し、地区内に小学校を誘致するとともに、安全で快適な環境つくりのため、「地区計画」を導入して、良好かつうるおいのある居住環境に努め、昭和61年6月には、建設大臣賞を受賞した。
設立から16年有余の歳月にわたる難事業を一致協力し、平成7年1月に換地処分をするとともに、事業の目的である公共施設の整備改善と宅地の利用増進を達成した。組合員の絶大なる協力と相互信頼及び国、県、市当局並びに関係各位の多大な協力と適切な指導、援助のもとに事業の終結をみることができたことに対し、深く感謝する次第である。本事業が市の将来の発展に希望を託し、ここに竣功記念碑を建立し永く後世に伝えるものである。
平成7年3月吉日
富士見市針ヶ谷特定土地区画整理組合
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*針ヶ谷中央公園はスポット地に登録されていなかったので、隣接地での口コミです*
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