南畑八幡神社

住所 下南畑1148

この場所をGoogleで検索

概要

 難波田城公園の北東にある南畑八幡神社は、この地を領した難波田氏が崇敬したと伝えられる神社です。創立は明らかではありませんが、難波田氏が山城国石清水八幡宮を勧請したとも、応永7年(1400年)に足利満兼が当地を鶴岡八幡宮に寄進したことにより分祀されたとも伝えられています。
 拝殿裏の本殿は、昭和16年(1941年)に県立川越中学(現川越高校)内に建てられた奉安殿を移築したものです。この奉安殿は東京帝国大学で西洋建築を学んだ建築家、室岡惣七が設計したものです。他にも、市指定無形民俗文化財の獅子舞、市指定有形文化財の鰐口(わにぐち)や力石が奉納されています。

口コミ

  • 0 _%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE_%E8%AA%AC%E6%98%8E%E6%96%87%E3%81%A8%E5%8A%9B%E7%9F%B3.JPG

    神社案内板と力石説明文の内容を写す

    八幡神社

     八幡神社は、下南畑1148番地に鎮座する。誉田別之命(ほんだわけのみこと)・神功(じんぐう)皇后・姫大神・阿蘇姫命・菅原道真公・北極星を祭神とし、稲荷・八雲・御嶽・琴平の摂社末社を持つこの神社の歴史は古い。
     応永7年(1400)、足利満兼が当地を鶴岡八幡宮に寄進して社領となり、同年同社を分祀奉斎した時におこると伝えられている。八幡社に奉納された鰐口が社宝として伝えられている。
     また、天文(1532~1555)の頃、此の地を領し在城した。難波田弾正は当社をあつく崇敬したという。境内には百余年の樹齢をほこる杉などあったが、大水・大風で今はその姿はない。

    富士見市

    ===========================
    力石

     力石は、神社の祭礼などで力くらべに使われました。江戸時代から明治時代にかけて全国的に盛んに使われ、富士見市内でもこの頃に奉納された力石が、神社の境内にたくさんあります。
     八幡神社には4つの力石があり、そのうち2つには石の重さとそれを奉納した年月が記入されています。石に書かれた重さと実際の重さは少し違いますが、最も軽いものでも100kg近くあります。
     一 奉納 力石36貫目(135kg) 3月日
     二 奉獻 文化7庚午歳(1819年)  力石40貫目余(150kg)  八月吉日 仲
     三     26貫目(97・5kg)
     四     41貫目(154kg)

    整備 平成14年5月3日
        南畑八幡神社

    続きを表示する
    ラベル
  • 0 A_%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE_%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E7%94%B0%E5%9F%8E%E5%85%AC%E5%9C%92%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A%E5%87%BA%E9%99%A3%E5%BC%8F.JPG

    難波田城公園まつり(6/4)の武者行列の出陣式

     難波田城公園まつりのパンフレットによると・・・
     難波田城の守り神であったと考えられる南畑八幡神社で出陣式を行い武者行列をしながら難波田城に入城する。そして公園では火縄銃演武により、まつりのクライマックスをむかえる。
     このイベントは川越藩火縄銃鉄砲隊保存会により、市民公募の士を編成して実施されているようだ。
     写真は南畑八幡神社に出陣の挨拶・参拝をし、いざ出陣!するところ。

    続きを表示する
    ラベル