渡戸の庚申塔

住所 渡戸2-9−12

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概要

上福岡、大井苗間(現ふじみ野市)から鶴瀬、みずほ台方面へ向かう江戸道と関口不動堂から渡戸観音堂へ向かう道の分岐点でコンクリートの石祠の中に寛政4年(1792)造立の青面金剛像を浮き彫りにした庚申塔があります。庚申塔には「是より右江戸道、入間郡鶴馬村領主渡戸中」と刻まれ、道しるべにもなっています。青面金剛とは顔の色が青い金剛童子(仏教の護法神)で病魔、病鬼を払い除き、六臂三眼(ろっぴさんがん)の忿怒相をし、庚申会の本尊として祀られました。

口コミ

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    ふじみの坂・・・仕付(しつけ)の坂・新水車(しんぐるま)の坂

     川越、上福岡、苗間を経て砂川堀に架かる栄橋を渡り、渡戸に入ると昔は「しつけの車屋」・「新水車(しんぐるま)」と呼ばれた榊原家の水車屋があり、周囲には湿地や水田が広がっていたという。
     この地へ南畑方面から田を仕付(田植え)に行く時、戻る時にどうしても通らなければならない坂道で、いつしか「しつけの坂」、水車屋の名前から「新水車の坂」と呼ばれるようになった。
     この道は川越から江戸に通じる裏街道的な江戸道で、坂上の少し手前の角に庚申塔が建立されており、右側面に「是ヨリ右江戸道」、左側面は寛政四年(1792)十一月鶴馬村願主渡戸中の銘文が刻まれ旅する人たちへの道するべでもあった。

    ※坂名の説明は、ふるさと探訪部会の「ふじみの坂」冊子を参照した。
    ※栄橋は富士見市の渡戸橋・竹際橋のひとつ上流に架かっている、ふじみ野市の橋
    ※水車屋を始めたのは弘化2年(1845)で、大正の終わりごろまで約80年間営業。開業時には既に2軒の水車屋(砂川堀上流の大井町、下流の貝塚山)があったが、渡戸地区としては初めの水車屋でもあり、新水車と呼ばれた

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