コロボックルの碑

住所 山室2-26−8

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概要

市立第3保育所の横の立っています。明治40年(1907)東京帝大(現東京大学)の学士達が貝塚山の周辺から収集した石器、遺物から「今から3千年前のコロボックル人種の居住せるあとなり」と説明。その3年後の明治43年(1910)3月、奇しくも貝塚山の貝塚稲荷社跡地で人骨・直刀が出土。当時、帝大(現東京大学)の坪井博士が日本人起源としてコロボックル説を唱えていたので大きな話題となりました。明治末には考古学の進歩で否定され、ことばの遺物となりましたが、大正元年に造立された「貝塚稲荷旧石碑」は裏面に「コロボックル人種遺物」と刻まれ、全国でも数少ない歴史的な碑として貴重なものとなっています。市の考古学発祥の記念碑として昭和50年(1975)11月に市の有形文化財に指定されました。

口コミ

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    富士見市の有形文化財の説明板の内容を写す。

    有形文化財
    コロボックルの碑
    昭和50年11月1日指定

     コロボックルの碑(貝塚稲荷旧跡碑)は大正元年に建立されたものですが、碑文に記された建立の事情こそ富士見市の文化財保護の原点を示すものです。
     建立の5年前、東京帝国大学の学士十数名がこの地を訪れました。彼等は貝塚山から採集された土器や石器を見て 「いにしえのコロボックルが残したものである」と説明しました。「コロボックル」とはアイヌの伝説に出てくる先住民であり、当時は、縄文土器や石器はコロボックルが残したものという説がとなえられていました。その3年後に稲荷神社の跡地を開墾したところ、古墳時代の人骨と鉄刀が発見されました。発見者は人骨を神社に改葬し鉄刀を帝室博物館に寄贈しました。以上の顛末を記念して建てたのがこの石碑です。

    富士見市教育委員会

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