慈光院跡の大型板碑

住所 南畑新田86−5

この場所をGoogleで検索

概要

板碑(板石塔婆)は亡くなった人や先祖を供養するためや生前に自分の死後の冥福を祈るための供養塔で、鎌倉時代から戦国時代に至る約400年間に造られました。石材となる緑泥片岩(りょくでいへんがん)の産地が荒川上流にあることから、県内に多く流通し、富士見市にも約600基が確認されています。市内で最古のものは、慈光寺跡(南畑新田)の建長4年(1262)6月1日銘の大型板碑で、続いて護国寺(勝瀬)の同年11月8日銘です。いずれも市指定文化財になっています。

口コミ

  • 0 A_%E6%85%88%E5%85%89%E9%99%A2%E8%B7%A1%E3%81%AE%E6%9D%BF%E7%A2%91.JPG

    富士見市の指定有形文化財・考古資料の説明版の内容を写す

    市指定 有形文化財
    板碑(いたび)
              昭和58年6月20日指定
     板碑は、鎌倉時代の中頃(13世紀の前半)に武蔵を中心に発生し、戦国時代まで造立された供養塔婆(くようとうば)です。秩父の長瀞や小川町でとれる緑泥片岩(りょくでいへんがん)を用いていることから青石塔婆(あおいしとうば)とも呼ばれます。
     この慈光院跡(じこういんあと)の板碑は、阿弥陀仏を表わす梵字((ぼんじ)種子(しゅじ))の下に建長4年6月1日と刻まれており、鎌倉時代中頃(1252年)に造立されたことを物語っています。
     富士見市内には、400基以上の板碑が確認されていますが、この板碑は護国寺境内の板碑とともに、板碑発生期の特徴をもつ市内最古のものです。
              富士見市教育委員会

    続きを表示する
    ラベル