記念碑文を読み、縦書きを横書きにし、漢数字を算用数字にしてみた。
県営ほ場整備事業竣工記念碑
埼玉県知事 土屋義彦 謹書
碑文
上南畑地区は、東に荒川、西に新河岸川の一級河川に挟まれた低平な水田地帯で、先人たちの英知と労苦により、南畑第二土地改良組合を組織して新河岸川に用水源を求め、昭和19年から20年に耕地整理事業を実施し、その後、昭和26年には、交換分合を行いほ場の整備と農業経営の合理化を進め、地域農業の改善と発展に努めてきた。
しかし、日本経済の発展と共に近隣市町村を含めた都市化による影響で、昭和40年頃より著しく水質汚染が進み、やむなく、用水源を地下水へと切り替えるため、計画的に順次6ヶ所の井戸を掘り、用水確保に努め稲作を続けてきた。
その後、地盤沈下の進行に伴う影響を受け、用排水路が機能不能となったほか、井戸の老朽化による用水不足が生じてきた。
折しも、昭和58年びん沼川改修による南畑排水機場を含む流域の整備計画が建設省から発表され、流域農業に必要な用水量が確保される見通しがつき、計画地区に入る砂原地区地主会と協議し、既得水利権を有効に行使する事で合意することができた。
同年、組合の定期総会において、土地改良推進協議会を発足させ、用水問題、土地改良事業の多岐にわたる検討を重ねた結果、びん沼川からの取水については、関係行政機関の指導のもとに協議し、昭和62年に既得4組合の理解をいただき同意が得られた。
さらに、土地改良事業に関しては、組合員の21世紀を展望した深い洞察から、県、市の指導を得て、ほ場整備事業に取り組む事を推進協議会で決定し、組織をほ場整備事業推進委員会と改め、幾多の困難を克服しつつ、県の調査と平行して事業推進に努め組合員の同意を得、平成2年11月20日県営ほ場整備事業の申請に至り、平成3年4月11日農林水産大臣の採択となり、同年11月11日県知事より土地改良区設立の認可を受け、同年12月6日南畑土地改良区が設立された。
右の経緯から、事業区域73haの「低コスト化水田農業大区画ほ場整備事業」と併せて「21世紀型水田農業モデルほ場整備促進事業」が平成3年より着手し、8年余の歳月と11億3千万余円の巨費を投じ、有効幅6メートル農道、排水路護岸、揚水機場及び給水器機施設、パイプライン、暗渠排水等の農用地造成工事が行なわれ、農業経営の安定向上と地域の大きな礎となる21世紀を目指した大区画ほ場整備事業が立派に完成した。
よって、ここに関係各位の労苦と御努力、組合員の御協力に深く感謝の念を捧げ、この歴史的事業の竣功を記念して碑文を刻み永く後世に伝えるためこの碑を建立する。
平成12年3月吉日
南畑土地改良区
理事長 上野武男 撰文
(追加)口コミ者の注釈
圃場整備(ほじょうせいび)とは、耕地区画の整備、用排水路の整備、土層改良、農道の整備、耕地の集団化を実施することによって労働生産性の向上を図り、農村の環境条件を整備すること。農林水産省や都道府県の公共事業として行われる。