総合揚水機場

住所 みどり野北75

この場所をGoogleで検索

概要

富士見土地改良区(下南畑・南畑新田地区)は、昭和39年(1964)に荒川右岸土地改良区から独立して設立して、井戸と天水に頼っていた水源を新河岸川に切り替えましたが、取水源である新河岸川が昭和40年頃から汚染したことで、農業用水の確保に苦心してきました。平成2年~15年の土地改良で、新河岸川・びん沼川・地下水を混合し、総合揚水機場の混合地で混ぜ、パイプラインで田に配水する仕組みをつくりました。傍らに竣工記念碑があります。

口コミ

  • 0 %EF%BC%A3_%E7%AC%AC%EF%BC%94%EF%BC%99%E5%9B%9E%E5%85%A5%E9%96%93%E6%9D%B1%E9%83%A8%E9%A7%85%E4%BC%9D.JPG

    「あじさい街道」で「第49回入間東部地区駅伝」を応援する

     2/18(日)駅伝競走がありました。第49回という歴史ある大会です。
     今回コースが変更になりました。ホームページによると、1周3.9km*5人(第1走者のみ3.7km)の駅伝となっていました。
     南畑地区の田園の中を、視界広く、伸び伸びと競争ができる、良い環境コースに思えました。

    上: 「あじさい街道」を第1走者の第2先頭集団
    中: 「あじさい街道」から「びん沼川」に向って田園の中を走る
    下: 富士山の応援を受けながら「あじさい街道」をひた走る

    続きを表示する
    ラベル
  • 0

    記念碑文を読み、縦書きを横書きにし、漢数字を算用数字にしてみた。

    県営ほ場整備事業竣工記念碑
    埼玉県知事 土屋義彦 謹書
    碑文
     上南畑地区は、東に荒川、西に新河岸川の一級河川に挟まれた低平な水田地帯で、先人たちの英知と労苦により、南畑第二土地改良組合を組織して新河岸川に用水源を求め、昭和19年から20年に耕地整理事業を実施し、その後、昭和26年には、交換分合を行いほ場の整備と農業経営の合理化を進め、地域農業の改善と発展に努めてきた。
     しかし、日本経済の発展と共に近隣市町村を含めた都市化による影響で、昭和40年頃より著しく水質汚染が進み、やむなく、用水源を地下水へと切り替えるため、計画的に順次6ヶ所の井戸を掘り、用水確保に努め稲作を続けてきた。
     その後、地盤沈下の進行に伴う影響を受け、用排水路が機能不能となったほか、井戸の老朽化による用水不足が生じてきた。
     折しも、昭和58年びん沼川改修による南畑排水機場を含む流域の整備計画が建設省から発表され、流域農業に必要な用水量が確保される見通しがつき、計画地区に入る砂原地区地主会と協議し、既得水利権を有効に行使する事で合意することができた。
     同年、組合の定期総会において、土地改良推進協議会を発足させ、用水問題、土地改良事業の多岐にわたる検討を重ねた結果、びん沼川からの取水については、関係行政機関の指導のもとに協議し、昭和62年に既得4組合の理解をいただき同意が得られた。
     さらに、土地改良事業に関しては、組合員の21世紀を展望した深い洞察から、県、市の指導を得て、ほ場整備事業に取り組む事を推進協議会で決定し、組織をほ場整備事業推進委員会と改め、幾多の困難を克服しつつ、県の調査と平行して事業推進に努め組合員の同意を得、平成2年11月20日県営ほ場整備事業の申請に至り、平成3年4月11日農林水産大臣の採択となり、同年11月11日県知事より土地改良区設立の認可を受け、同年12月6日南畑土地改良区が設立された。
     右の経緯から、事業区域73haの「低コスト化水田農業大区画ほ場整備事業」と併せて「21世紀型水田農業モデルほ場整備促進事業」が平成3年より着手し、8年余の歳月と11億3千万余円の巨費を投じ、有効幅6メートル農道、排水路護岸、揚水機場及び給水器機施設、パイプライン、暗渠排水等の農用地造成工事が行なわれ、農業経営の安定向上と地域の大きな礎となる21世紀を目指した大区画ほ場整備事業が立派に完成した。
     よって、ここに関係各位の労苦と御努力、組合員の御協力に深く感謝の念を捧げ、この歴史的事業の竣功を記念して碑文を刻み永く後世に伝えるためこの碑を建立する。
         平成12年3月吉日
            南畑土地改良区
               理事長 上野武男 撰文

    (追加)口コミ者の注釈
    圃場整備(ほじょうせいび)とは、耕地区画の整備、用排水路の整備、土層改良、農道の整備、耕地の集団化を実施することによって労働生産性の向上を図り、農村の環境条件を整備すること。農林水産省や都道府県の公共事業として行われる。

    続きを表示する
    ラベル
  • 0 %EF%BC%A1_%E7%B7%8F%E5%90%88%E6%8F%9A%E6%B0%B4%E6%A9%9F%E5%A0%B4_%E4%BB%A3%E6%8E%BB%E3%81%8D.JPG

    代掻き(しろかき)・田植えの真っ最中!

     総合揚水機場の地域は、平成12年(2000)に、大区画(100m*200m=2ha≒2町歩)を基本とした区画整理が完成し地名も、みどり野(東、西、南、北)に生まれかわったそうです。
     田んぼが凸凹だったら苗が水没したり、水がかからなかったりして、うまく育ちません。この大区画の田んぼを、水平にコントロールするのは人間作業では非常に難しいこと。この時期の散策では、「機械とその技術力」にいつも感心させられます。
     ※昔むかし、散策人が育った田舎では10アール(20m*50m≒1反)程度の区画。人間の体力作業に頼ってたころは、これが限度で、おそらく南田地区も同じだったでしょう。
     ※写真は代掻き中の大区分田圃

    続きを表示する
    ラベル
  • 0 IMG_3883.JPG

    田園風景 「わらぼっち」

    総合揚水機場から東大久保浄水場に向かって歩くと沢山の「わらぼっち」がありました。
    都心に比較的近い地域でありながら、素晴らしい田園風景・自然環境に触れることができます。
    また、この田圃道でクリアな日には富士山を見ることができます。

    続きを表示する
    ラベル