境内にある「耕地整理紀功碑」の内容を写す
耕地整理紀功碑
耕地整理紀功碑 埼玉県知事正五位勲四等島田剛太郎篆額
我邦古称瑞穂国土壌肥沃人情敦朴至輓近人多地少漸生争鬩則整理耕地以通灌漑
以増地力蓋可謂済時之急務也入間郡水谷村整理地区南沿柳瀬川東隔新河岸川接
宗岡村東西1300余間南北550間面積83町1段2畝21歩而水源
窮乏僅有2潴水以供灌漑然其排水口土地甚低下与柳瀬新河岸水路僅通耳以故旱
歳田無完毛水歳則逆流汎濫就中如明治40年及明治43年洪水没全区稲梁枯腐悲
惨不可名状郷之先輩有志苦慮経年会農商務省有奨励耕地整理之挙下付補助金本
県亦給以低利資金村人踴躍鋭意従事遂用/隣村三芳村竹間沢大排水為水源設耕地
整理組合明治44年2月18日起工至同年10月6日竣工塍路井然溝澮称之運
搬之便灌排之利莫一不備而新得耕地5町3段歩於是積年之望始達闔村開愁眉洵
為昭代盛事焉鳴呼村人能利此機一致協同無愆厘生之道則今日之挙豈惟済時之急
務而己余久為本郡長常目賭惨状与有志先輩同憂者則碑銘之請不可以不文辞乃為
叙其梗概以貽後人銘日 克勝天時 克制地利 協心致和 剪除旧異 河伯戢威
炎帝釈奰 良穀穣々 嘉禾穟々 衣食己足 人知礼義 郷俗以敦 萬世受賜
大正2年1月上浣 埼玉県入間郡長従六位勲五等市川春太郎撰
埼玉県入間郡書記 神山太三郎書
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漢数字、旧漢字は変換しています。漢文・漢詩調のため解釈が難しいですが、概要を推測することは出来ると思います。碑文読解については、「田んぼ今昔」(平成26年春季企画展<難波田城資料館>の図録)を参照しました。