今回も境内にある「至誠一致之美影碑」の内容を写す
至誠一致之美影碑
国民の武士的精神に富めるは我帝国の精華として
宇内万邦の称揚惜かさる所なり 抑在郷軍人の任た
る上勅諭勅語の御趣旨を奉礼し戮力協心常に軍人
精神の鍛練に努め軍事知識の増進を図り 以て世界
の平和を保証し国家の隆昌に対揚せんことを期す
るに存り 故を以て之れか団体施設の事たる一にし
て足らすと雖も動もすれは其の経費の関係より左
齬右齟思うて為す能はさるもの一再にして止まら
す 洵に以て憾と為す前分会長故正八位輜重兵少尉
高野辰君 夙に之れを概き乃ち提議して基金造成の
計を立て大正6年11月基金募集の議を決し翌7
年之れに着手し以来5星霜挙村亦翕然として之れ
に応し醵金3000余円に達し分会の基礎始めて確立
することを得たり 因つて賛助諸彦の芳名を石に録
し其の赤誠を無窮に伝ふと云爾
大正11年11月25日
帝国在郷軍人会水谷村分会撰
埼玉県入間郡書記関野亀之助書
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漢数字、旧漢字は変換、カタカナはひらがなにしています。
前回と同様に、明治・大正時代の碑文の「読み下し」は難しいですが、「帝国在郷軍人会」の様子を垣間見ることができます。