護国寺

住所 勝瀬723

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概要

龍王山薬王院護国寺という天台宗の寺院で、古谷本郷灌頂院(川越市)の末寺です。明治初期に火災にあい開基などは不詳ですが、寺名、石仏などから鎌倉時代と考えられています。本堂は明治25年(1892)に再建され、本堂天井板には寄進者の家紋が描かれています。本尊は阿弥陀如来で、他に薬師如来が安置されています。境内には富士見市指定有形文化財の板碑(板石塔婆)が三基あります。建長4年(1252)11月8日銘の大型板碑は市内最古のひとつです。江戸時代には寺子屋が開かれ、明治初年には駒林村(現ふじみ野市)と共同の勝瀬学校となりました。

口コミ

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    「新本堂お披露目会」が催されていた

     今日(4/28)の午後、散策していたら、鳴り物が聞こえ護国寺が賑やかだった。
     話によると、「新本堂お披露目会」の最中とのこと。催しは建設委員会が檀家さんに落成式の前に「新本堂を披露」するという会で、「慶賀法要」のあと、江戸太神楽曲芸・三味線弾き唄い・落語などの「アトラクション」があるとのことでした。
     また近々に落成式があるとも聞きました。

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    富士見市の指定有形文化財・考古資料の説明版の内容を写す

    有形文化財
    板碑
          昭和50年11月1日、昭和58年6月20日指定
     板碑は、鎌倉時代の中頃から戦国時代にかけて造立された中世の供養塔です。長瀞付近で産出する緑泥片岩(りょくでいへんがん)で造られたものがほとんどを占めます。上部に阿弥陀仏を意味する梵字(ぼんじ)(種子)等を刻み、その下に造立した年月日や造立者、目的等が記されています。
     護国寺境内の板碑3基のうち、2基はほぼ完全で高さが3m近くあります。この2基は種子の他は摩滅して年号等が不明ですが、もう1基には「建長4年11月8日 黒州比丘尼」と記されています。建長4年は鎌倉時代中頃(1252年)にあたり、慈光院跡の板碑とともに市内最古のものです。いずれも細身で、種子の上に額があり一段厚く張り出すという共通点を持ち、新河岸川流域の初期板碑の特徴的な一群として注目されています。
         富士見市教育委員会
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    *撮影時、本堂が建設中でした!
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