六蛙堂(むかえるどう)がオープンしていた
長い間の工事も終わり、「六蛙堂」がオープンしていた。お堂には有形文化財の「役行者(えんのぎょうじゃ)座像」が御祭神として祭られている。一回は訪れて見たいスポットだ。
※案内板、説明板も設置されている。
住所 | 水子1762-3 |
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長い間の工事も終わり、「六蛙堂」がオープンしていた。お堂には有形文化財の「役行者(えんのぎょうじゃ)座像」が御祭神として祭られている。一回は訪れて見たいスポットだ。
※案内板、説明板も設置されている。
昨日散歩していたら今まで覆われていましたが、参道の入口に碑がお目見えしていました。なかなかユニークな碑です(写真)。
建設案内を見ると、水宮神社では不動明王・役行者(えんのぎょうじゃ)像等の六蛙堂と参道が建設・工事中で、その竣工は、令和3年3月頃とありました。楽しみです。
バイク好きのご夫婦が経営している自転車屋さん「リングジャパン」が企画した「富士見市観光ツーリング」に参加してきました。
朝早くに三芳町の藤久保店にバイク5台、大人5人+子ども2人が集合して、まずは水宮神社へ。
こちらさんは室町時代に京都の聖護院を本山とする修験寺として創建された神仏習合の面影を残す珍しい神社です。
狛犬ならぬ狛蛙もユニーク。
みんなで「無事カエル」祈願をしました。
その後は難波田城公園で古民家散歩を楽しみ、「伝や」にて2020年のふじみ逸品「おむすび弁当」を食べ、ゴールの三芳町上富の江戸屋弘東園に併設された季節限定カフェ「ぎゃらりい いちの草」にて和スイーツに舌鼓を打ちました。
今回のツーリングのコンセプトは、都内からの参加者を迎えるにあたって「富士見市と三芳町の大好きな場所を案内しよう!」だったそう。
ついつい友だちに自慢したくなる町。
富士見市や近隣市町には、そんな魅力がたくさんあると思いました。
令和として最初の元旦ということもあるのか、快晴のなか、初詣の出足も早い。
水宮神社は旧年中に駐車場が整備され、新しく参道も工事されていたのを垣間見ていたので、初詣に間に合うのではと期待していたのですがチョット間に合わなかったようです。
水宮神社・大應寺の神社仏閣の新年の行事があり、そして水子貝塚公園は開園しているので、家族で凧揚げやチョットした運動ができる。各々のスポットに駐車場があり、すばらしいエリアとなっている。
「何となく/今年はよい事あるごとし/元日の朝、晴れて風無し」・・・石川啄木
埼玉新聞 2018年(平成30年)4月27日(金)より・・・明治元(1868)年の神仏分離令により、当時修験寺だった摩訶山般若院(現・水宮神社)から別の寺院に移管された仏像など木像2体が150年ぶりに水宮神社に帰還し、水宮神社は25日木像の「帰仏奉告祭」を行った。いずれの木像も遅くとも江戸時代に製作されたとみられており、同神社は「神仏習合の信仰に立ち返り、御威光の発揚に努めて行きたい」としている。
水宮神社の宮司によると・・・今は県及び市の文化財等の調査中とのことで、調査が終われば拝殿に鎮座の予定とのこと。
役行者(えんのぎょうじゃ)を調べてみると・・・役小角(えんのおづぬ)は飛鳥時代のころ、修験道の開祖で実在の人物。伝えられている人物像は後世の伝説によるところが大きいようです。小説にも書かれています。
機会あって、木像2体と対面させて頂きましたが、非常に立派な木像で、思わず手を合わせました。 左:不動明王像(高さ約84cm)、右:役行者像(高さ約1.4m)
『伝説の地に狛蛙』
昔、この土地に住む蛙が、「人間の様に立って歩きたい」と神様に願を掛けたところ、その願いが叶い歩ける様になったが、目が後ろになり不便なので元の姿に戻れるように再び願いを掛けたが許されず、困っていたところを大日如来(不動明王)が戻してくれたと云う。
幼い子を亡くした親が神様に願を掛けたところ、亡くなった子にそっくりな子が生まれ、お礼に
「生まれかえる」と蛙を奉納したと言われている。
猶、当社では狛蛙の阿吽の呼吸から、向って右が「阿」、左が「吽」となり、殿様蛙それ故、頬の膨らみが有る。
蛙は、小さいが気勢・元気があり、前にしか跳ねない事から「前向き」であるとの信仰がある。
訪れる人々に・・・【身も心も若返る、体調が元の身に立ちかえる、家に無事かえる、(お金・福・失せ物・縁)が返る、栄える、見違える、跳ねかえる(根性)、運を持ちかえる、人を迎える、活きかえる、蘇る(衰えた物がまた盛んになる・更生)、水子の霊も此の世に生まれかえる等)】
「かえる」に肖り、此の社会が明るく楽しく繁栄していく事を願う。
蛙は神の御使いとして、また人様を導くとされている。
この里に古くより伝わる蛙の伝説を今に伝えむと蛙に縁のある水宮神社に狛蛙を建立した。
摩訶山般若院 水宮神社
散策していると多くの坂道に出会う。その坂道は昔、住所のかわりの目印として個性的な坂名がついているようだ。その名を知って歩くと、なんとなく富士見の歴史を感じることが出来る。
[般若院の坂・東の坂]
水宮神社から木染橋に下る坂は「般若院の坂」と呼ばれた。水宮神社は元修験者の般若院と呼ばれていたことによる。また般若院の東に位置していることから「東の坂」ともいわれた。
※江戸時代の絵図で道に点々を書き、坂道を表示している場合がある。それにならって点々を付け加えて見た。
※坂名の説明は、ふるさと探訪部会が作成した「ふじみの坂」冊子を参照した。