4月10日は例大祭、絶好の祭日和
テンツクテンツクの音に誘われて榛名神社の例大祭に参詣した。毎年4/10は例大祭で、神楽・囃子・植木市・露店など出る。太鼓の音は勝瀬囃子の音だ。
学校が始まってしまった平日なのに結構な賑わいにビックリした。やはり、久しぶりの開催ということで皆が植木市など楽しみにしていたのかもしれない。
(上)勝瀬囃子の舞台の前で記念撮影の幼稚園生
(下)参道の露店での賑わい
住所 | 富士見市勝瀬791-1 |
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URL | http://www.city.fujimi.saitama.jp/35miru/02midokoro/hujimihakkenn/2012-0731-1549-126.html |
榛名神社の創立年代は明らかではありませんが、文明9年(1477年)に再建した際の棟札があり、室町時代にはあったことがわかります。お舟山伝説、藤島伝説、御水足池(おみたらしのいけ)伝説などがあります。祭神は土の祖神である埴山姫命(はにやまひめ)と、伊勢の外宮に祀られている五穀豊穣の神、豊受姫命(とようけひめ)の二柱の女神で、ともに農業の神です。このような神社は近隣にも例がなく、広く稲作農家の信仰を得て、ひいては雨乞いの祈願所となったようです。毎年4月10日の例大祭は「はんな様」と親しまれています。
テンツクテンツクの音に誘われて榛名神社の例大祭に参詣した。毎年4/10は例大祭で、神楽・囃子・植木市・露店など出る。太鼓の音は勝瀬囃子の音だ。
学校が始まってしまった平日なのに結構な賑わいにビックリした。やはり、久しぶりの開催ということで皆が植木市など楽しみにしていたのかもしれない。
(上)勝瀬囃子の舞台の前で記念撮影の幼稚園生
(下)参道の露店での賑わい
榛名神社の摂末社の疱瘡神社の御由緒が掲げてありました。
祭神 大禍津日命(おおまがつびのみこと)
西日本をイナゴの虫害が襲った享保の大飢饉(享保17年1732年)、また、奥羽(東北全般)の冷害を発端とする天明の大飢饉(天明2~7年1782~1787年)、天明3年の浅間山噴火による更なる冷害の時代に近い、安永年間(江戸中期1772~1781年)、村内に建立したと伝えています。
疱瘡とは痘瘡(とうそう)つまり天然痘の俗称です。疫病に関する不可思議を神として奉りました。
疱瘡神様の色は「赤」なのは、本能的発想的に元気を色に例えると赤になる。疱瘡のときの赤い発疹は予後が良い。血を忌むから。など諸説あります。
腸チフス菌、コレラ菌、1918年発症のスペイン風邪から現在にいたるインフルエンザ、またコロナウイルス等、人は、過去も、未来も、菌、ウイルスと共存しています。
疫病鎮静平癒を願い、同じ地球で皆平和で楽しい未来への行動をお守りされます。
「夏越の大祓式」の説明に、「一年の後半を迎えるにあたって、心の穢れを取り除くことが大切であると同時に、夏草をたばねた茅の輪をくぐり、自然界の生命力を再び我が身にお移し頂き、心清らかにお体元気で暑い夏を越せるように祈願して下さい。」とあります。
茅の輪を「8の字」にくぐり、社殿へ参拝し祈願しました。
疫病退散、悪疫退散の「のぼり旗」には、新型コロナウイルス退散の願いを込めた「アマビエ」が描かれていました(写真円内)。
イチョウは榛名神社のご神木、みずほ銀杏通り、鶴瀬小のイチョウ並木など、いろいろな場所で見かけます。イチョウの本を読んでいたら「2億年ものあいだ存続している」とのこと。改めてイチョウを観察したら、手を合わせてしまいました。
2億年というと、あの恐竜が出現・繁栄、そして絶滅の時代を生き延びたことになります。現在のイチョウは、世界中で見られ、自然繁殖ではなく基本的にヒトが植えたものだそうです。
種子は珍味となり、植物油や薬として使われ、特徴のある葉と長寿を誇るこの木は、仏教、道教、儒教において象徴的な存在となり、日本古来の神道とも結びつき、崇められる存在になったことが大きかったようです。
1億5000万年前より古い時代に起源をもつ動植物のほとんどが絶滅していることを思えば、イチョウが2億年ものあいだ基本的に変わらないまま存続したのは奇跡としかいいようがないとのことです。
富士見市の神社で節分祭が行われているのはどこか? と調べたら、諏訪神社と榛名神社だった。
諏訪神社の節分祭はホームページなどで開示されているが、榛名神社の様子は全く知らなかったので、今回参拝した。
市の代表者(市長・議長・県会議員・国会議員)も祈願され、全体的に、氏子さんを中心とした良き伝統的な節分祭に感じた。その模様の口コミです。
※節分祭・・・季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うために、古くから豆まきの行事が執り行われている。一年の無病息災を願うという意味合いがある。
市指定記念物
イチョウ
昭和58年6月20日指定
イチョウは、植物学的に古い起源をもち、裸子植物の代表として日本全国に分布しています。高さ30mにも達するものがあり、古い木になると「チチ」といわれる根が下がっているものもあります。
この榛名神社のイチョウは、市内やその周辺でも最大級のものです。
樹 高 約20m
樹 径 1.5m
推定樹齢 400年
富士見市教育委員会
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2017.12.2 撮影のイチョウ
榛名神社由緒
勝瀬総鎮守
御祭神 埴山姫命(土・植物を司る神)
豊受姫命(食物を司る神)
年中祭事 1月1日 元旦祭
2月3日 節分祭
2月20日 祈年祭(豊作・諸事繁栄祈願祭)
3月初午日 稲荷社祭(初午)
4月10日 例大祭(神楽・囃子・植木市・露店)
5月1日 塞祭
5月10日 苗木市
7月28日 夏越大祓式(茅の輪くぐり)
11月適宜日 七五三
11月20日 新嘗祭(新穀・諸事感謝祭)
12月冬至日 冬至星祭
12月28日 釜しめ 頒布
由緒 詳細創立年代は不明。本社再建が文明9暦丁酉年(室町中期 西暦1477年)4月10日武州入東郡勝瀬村大願主林光防武州吉見領小泉村大工加藤杢之助と棟札に明記されている。川越城主松平大和守の崇敬あり毎年御供米一斗五升宛下附せられた。明治5年村社に列した(明治39年4月神饌弊帛料供進指定)
伝説 当社の創建に関する地元の言伝え「お船山伝説」あり。一説は、昔この辺が海だった頃、榛名大神がお供のお二人方をお連れになり、船に乗られ遠くからここに来られました。船は無事に岸辺(現在の榛名神社の南端にあたる海岸線)に到着し、めざす陸地に上がることができました。岸辺に繫いでおいた船はいつか岸から離れ、海上を漂い、「お船山(神社南方約100mにある地)」に沈みました。ちなみにお連れは船頭の鷺森大権現様と大弁財天女様です。
もう一説は、一行の船がお船山で沈み困ったが、神社南端の岸辺からのびていた大きな藤の木の蔦を伝って神様達が陸に上がりこの地に鎮座されたという説もあります。ちなみに神仏習合時代の榛名様を「日本藤島榛名満行大権現」と言った。
境内および境外地 約2570坪
摂末社
稲荷神社 祭神 宇迦御魂命 例祭旧暦2月初午。天明3年(西暦1783年)建立と伝わる。明治40年6月5日字稲荷窪の稲荷社、稲荷前の稲荷社、屋敷廻りの稲荷社を合祀。その後複数の稲荷社を統合、合祀。
厳島神社 祭神 市杵島姫命 創立年月不詳 享和壬戌年4月当村塩野源右衛門再営の棟札がある。船山弁財天と称したが明治7年5月、社名を改め当字谷田、お船山より遷座。明治41年6月17日、お船山より石碑をこの隣地に移転。
富士神社 祭神 木花開耶姫命 明治41年年6月13日当字茶立久保、オトウカ山より移転。
藤塚神社 祭神 稚産霊命 創立年月不明。寛政6年(西暦1794年)3月吉田願主塩野半平再建すとある。
大穴天神社 祭神 大己貴命 創立年月不明。昭和27年5月社殿改築。
疱瘡神社 祭神 大禍津日命 安永年間(西日本を虫害が襲った享保の大飢饉、東北地方等の冷害を発端とする天明の大飢饉の時代)村内にて建立したと伝えている。
信仰
万物育成 諸々増殖 大地守護 五穀豊穣 食物守護 厠守護。
藤の花をデザイン化した「藤紋」は、インターネットで検索すると・・・
藤は長寿で繁殖力が強く、めでたい植物として、その「藤の花」をデザイン化したのもの。中臣鎌足が大和に藤原の里を下賜されてから、のちのちまで栄えた藤原氏にあやかって、多く使用するようになったという。
市内の神社・寺院で「藤紋」が見られるのは、散策人が知り得ているのは、榛名神社と性蓮寺。だからといって藤原氏と関係があったと言っているわけではありません。調べても、聞いてもいません。
市の花「ふじ」をホームページでみると・・・
優雅さと気品をそなえており、ひとつひとつの花が集まって咲く様子が、人と人との語り合いや団結を感じさせ、富士見市民がひとつひとつの花のように思われます。
と書いてある。
「ひとつの対象物」を、いろいろな観点で、良い点を見出していることが、面白い。