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富士見市の「埼玉ゆかりの偉人」をご存知ですか?
埼玉県HP「埼玉ゆかりの偉人」で富士見市を検索すると、「渋谷定輔」と表示される。 渋谷定輔氏をご存知ですか?
小さいころから農業労働にあけくれ南畑小作争議にも加わった。その後、本格的な農民運動を始めるが、厳しい農作業の日々を送りながら、詩をつくり、日記を書いた。そして農民の生活を記録した「農民哀史」を著す。これは「女工哀史」の細井和喜蔵氏との約束でもあったようです。
◆鶴瀬コミュニケーションセンターホールのロビーに、画家・阿伊染徳美氏の寄贈の油絵<この風の音を聞かないか>が展示されています。
この大きな絵は、渋谷定輔・黎子夫妻、ポーランドの女性社会運動家ローザ・ルクセンブルク氏、わらぼっちのある風景で構成され、渋谷氏夫婦に敬意を表わしたものとなっています。
◆中央図書館には「渋谷定輔文庫」コーナーがあります。ここでより詳しく知ることができます。
※ロビーで写真を撮ったのですが、油絵はガラスで覆われているため、電灯や外の明りを反射して見づらいものになってしまいました。申し訳ないです、現場で見て下さい。 -
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前回に続いて、新河岸川でバード・ウォッチング
冬の間は草木の葉が落ちているので、日頃見慣れない鳥の姿を見ることが出来る。川べりを散歩しながらでもバード・ウォッチングが楽しめる。
前回に続いて口コミしたのは、初めてハヤブサとホオジロを撮ることが出来た歓びからです。
写真は2/7(木)新河岸川散歩中のものです。ハヤブサについては私には♂♀の判別ができないですが、四角枠(上)ジョウビタキ♂、四角枠(下)ホオジロ♂です。鳥の♂は大変に美しいです。 -
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富士見江川・新河岸川でバード・ウォッチング。いろいろな鳥がいます。
冬日和(ふゆびより・・・穏やかに晴れた冬の日)には、鳥たちも活動的になるようで、日頃見慣れない鳥にも遇えて楽しい。川べりを散歩しながらバード・ウォッチングなどは、いかがでしょうか。
写真上はカワセミ(富士見江川で)、写真下はカワヒラとスズメのコラボ(新河岸川で) -
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「特製マンホール内の設置」の三角点が富士見市にありました。どこでしょう?
今回と次回の口コミは富士見市に設置されている三角点です。2ヶ所あります。
インターネット情報ですが・・・
三角点は三角測量に用いる際に経度・緯度・標高の基準になる点で、永久標識になっています。そして、その基準点の等級として、一等三角点は約45km間隔(但し約25km間隔の補点もある)、二等三角点は約8km間隔、三等三角点は約4km間隔、四等三角点は約2km間隔に設置されている。
・・・とのことです。
映画化された新田次郎の「劒岳」や高尾山頂の三角点などで知られるように、山頂に設置された三角点は、ほとんど四角い柱石。ところが近年の三角点は「金属標識」や「特製マンホール内の設置」もあるようです。
その「特製マンホール内の設置」が富士見市にありました。マンホールには等級が書かれていないですが、調べると二等級でした。その場所はどこでしょうか?その地名は次回の口コミに! -
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プレーリードッグのいる石垣をご存知ですか?
プレーリーとは北アメリカ中部の草原地帯名。ドッグとは子犬のような声で「キャンキャン」と鳴くことから、プレーリードッグという名前が付いた。実は犬ではなくリスの仲間。大きさは30cm程度で体重1kg前後。
そのプレーリードッグが石垣の上で行き交う車・ヒトを見ている。スピードを出している車を見ると「キャンキャン」と警告を発しているのではなかろうか。その道路はふじみ野朝霞線(県道266)の富士見市鶴馬。
おそらく個人所有でしょうが景観もよく面白い石垣である。その石垣の反対側の歩道をゆっくりと散歩しながらプレーリードッグとアイ・コンタクトをして見てはどうでしょうか。心が和みます。 -
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あの管制塔のような魅力的な(?)建物は何だろう?!
東上線の車内からも見える、あの管制塔のような魅力的な(?)建物は何だろうか? 建造物の近くの住民で知らない人はいないでしょうが、市民の方に聞いてみると、意外と知っている人が少ない。 その名前は 『鶴瀬西配水場』。 調べた概略を口コミします。
富士見市の高台や末端給水区域の水圧不足を解消するため、県水を直接高架水槽へ受水して、自然流下により配水する施設。平成4年(1992)9月に設立。高さ38.5m、配水池容量3,200立方メートル。現在は遠隔操作による無人運転。
※県水とは埼玉県大久保浄水場(さいたま市)で処理されて送られてくる水。富士見市はおよそ8割を県水に依存し、その施設は東大久保浄水場、水谷浄水場、鶴瀬西配水場の3ヶ所で受けています。 -
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鶴瀬小学校開校120周年記念碑の内容を写す(漢数字を算用数字にする)
開校120周年記念碑
鶴瀬小学校は、
明治6年11月23日大字鶴馬来迎寺に、鶴馬小学校として開校以来120周年を迎える、
明治14年9月15日現鶴瀬公民館の場所に移転し、鶴馬学校と改称する。
明治22年4月21日鶴馬村と勝瀬村が合併して鶴瀬村が誕生したのに伴い、勝瀬学校と統合し鶴瀬学校となる。
明治25年4月21日小学校令により、鶴瀬尋常小学校と改称し、開校記念日を5月1日と定める。
明治39年7月20日鶴瀬尋常高等小学校と改称する。
昭和8年11月23日現在の地に校舎を新築し移転する。その時、地域の方より銀杏の苗が寄贈され、その後、60年間の歴史を見守り大銀杏へ成長する、現在この大銀杏が地域や本校のシンボルとなっている。
昭和36年頃より本市も都市化に伴い急激な人口増となり、鶴瀬西小学校、関沢小学校、勝瀬小学校、諏訪小学校と分離し現在に至る。心や勉学の拠り所であった卒業生の当時を偲ぶ熱き思いは、その後も、この地で育つ後輩たる児童たちによき校風として受け継がれているものと信じる。
ここに本校120年の歩みを記念し先人の偉業を賛え、更なる発展を願い、ここに記念碑を建立する
平成6年3月吉日
富士見市立鶴瀬小学校
開校百二十周年記念事業実行委員会
歴代PTA正副会長会
卒業生有志の会


