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勝瀬原記念公園
竣功記念碑文の内容を写す
絆
あの広大な畑地が、今はビル群の林立する近代的な街へと様変わりしました。このふじみ野の地に景観に配慮したグレードの高い街並みが形成され一万余の人々が生活しています。
当事業は、昭和52年の市による開発に係る説明会を期に、勝瀬原開発研究会及び同区画整理組合設立準備会を経て昭和61年2月に当組合を設立、事業開始から今日まで4半世紀に及ぶ長い道のりでしたが無事竣功を迎えることができました。
ここに、地権者の皆様の深いご理解とご協力、そして歴代役員を始め多くの関係者の皆様方のこれまでのご尽力に改めて感謝いたしますと共に、この街で育まれた絆を大切にし、ここに住む方々の幸せ、そしてふじみ野の街の発展を心から願い竣功記念碑を建立します。
平成23年4月吉日
富士見市勝瀬原特定土地区画整理組合
理事長 梶 兼三
事業概要
事業名 富士見都市計画事業勝瀬原特定土地区画整理事業
施行者 富士見市勝瀬原特定土地区画整理組合
施行面積 約72.56ha
総事業費 146億7千万円
施行期間 昭和60年度から平成22年度
平均減歩率 30.46%(公共減歩24.45%保留地減歩6.01%)
当初権利者数 391人
当初建物戸数 50戸
換地処分時権利者数 4093人 -
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水子貝塚公園・資料館
説明板の内容を写す
水子(みずこ)貝塚
富士見市は貝塚の多い街で、現在、14ヶ所の遺跡から貝塚が発見されている。中でも水子貝塚は最大級のもので、直径約150mの環状の範囲に60ヶ所を越える小貝塚が分布している。
市内に残された貝塚はすべて縄文(じょうもん)時代早期後半から前期前半(約7千~5千年前)に形成されたものである。この頃は、氷河時代後の温暖な時代で、全世界的な傾向として、海が内陸深くまで進入していた。埼玉県西部では荒川低地に沿って上尾市付近まで海岸線が湾入しており、市域東半部の低地帯は水没した上に江川や柳瀬(やなせ)川の谷が入江となっていた。海岸に形成された干潟や浅い入江は、貝をはじめとする海産動物の絶好の繁殖地であり、この食資源を求めて人々が集まり、集落を形作った。
当時の人々は、地面を掘り込んだ半地下式の竪穴住居に住んでいたが、人が住まなくなった住居の跡は、適当に窪んだ、格好のゴミ捨て場として利用されたため、そのような住居跡のうち貝殻を捨てたものが、現代において貝塚と呼ばれている。土器や石器はどのような遺跡でも出てくるが、シカやイノシシなどの獣の骨、コイやタイやスズキ等の魚の骨などは普通の遺跡では長い年月の間に分解してしまうが、貝塚遺跡の場合には貝殻の成分の働きにより、骨が分解せずに残されているため、貝塚は当時の人々がどのような動物を食べていたかを知る貴重な情報源である。また、住居跡に貝塚が残されているため、貝塚の分布をたどることで中央に広場を囲んだ集落の姿を復元することができる。
水子貝塚は、縄文時代前期を代表する大規模な貝塚集落遺跡として戦前から知られ、その良好な保存状態から、昭和44年に国史跡として指定された。
平成5年3月
埼玉県
富士見市 -
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富士見橋
富士見橋の近くにある「榎町公園」の記念碑の内容を写す
碑文
本地区は、富士見市の南部に位置し、地区南は柳瀬川左岸に接し、西は東武東上線、北は国道254号線(浦所バイパス)、東は富士見市道41号線に囲まれた富士見市大字水子字榎町、字向山前、字別所前の一部からなり地質は非常に軟弱な腐植土で、近年まで所々に湧水個所のあった水田地帯で面積1・97haよりなる市街化調整区域であった。
この地区の公共施設の整備改善及び土地利用の増進を図るべく、関係地権者が開発整備の方法について協議を重ねた結果、土地区画整理事業を実施することに決定した。昭和54年3月30日に市街化区域に編入され同年6月に準備委員会を設置、個人共同施行として昭和55年7月11日付で埼玉県知事より認可され、同年7月14日設立総会を開催した。その後、事業をすすめる過程で改めて組合施行が有利であると判断し、昭和56年10月14日個人共同施行を解散し、土地区画整理組合を設立した。
総事業費1億6千8百万円、平均減歩率17・62%で、道路面積2,158㎡、水路面積141㎡、公園面積651㎡の公共用地と保留地1271㎡を生み出し事業費に充当、県、市及び関係地権者のご指
導、ご協力をいただき整備を行った。
昭和57年12月3日には換地処分を終了。ここに記念碑を建立し、富士見市榎町土地区画整理事業を竣功する。
昭和57年12月吉日
富士見市榎町土地区画整理組合 -
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阿蘇神社
7/15 天王様
7/15(日)16:00から天王様のお祭りがあり、露店もあるという公民館だよりを見た。最近の高温にもめげず散策にゆく。阿蘇神社の隣にある八坂神社のお祭りである。
地元の夏の悪霊除けと健康保持(暑気払い)の願いが込められていて、特に子供たちの健康保持・成長を願っている祭の印象がありました。露店は町の人が設営したもので祭の原点ともいえる祭模様でした。このような良き風習・伝統が引き継がれていることがうれしい。
※八坂神社や戔嗚尊を祭神とする関連神社は通称として祇園さんとも呼ばれ、7月の祇園祭(祇園会)が良く知られています。明治元年(1868年)の神仏分離令により「八坂神社」となりました。 -
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護国寺
富士見市の指定有形文化財・考古資料の説明版の内容を写す
有形文化財
板碑
昭和50年11月1日、昭和58年6月20日指定
板碑は、鎌倉時代の中頃から戦国時代にかけて造立された中世の供養塔です。長瀞付近で産出する緑泥片岩(りょくでいへんがん)で造られたものがほとんどを占めます。上部に阿弥陀仏を意味する梵字(ぼんじ)(種子)等を刻み、その下に造立した年月日や造立者、目的等が記されています。
護国寺境内の板碑3基のうち、2基はほぼ完全で高さが3m近くあります。この2基は種子の他は摩滅して年号等が不明ですが、もう1基には「建長4年11月8日 黒州比丘尼」と記されています。建長4年は鎌倉時代中頃(1252年)にあたり、慈光院跡の板碑とともに市内最古のものです。いずれも細身で、種子の上に額があり一段厚く張り出すという共通点を持ち、新河岸川流域の初期板碑の特徴的な一群として注目されています。
富士見市教育委員会
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*撮影時、本堂が建設中でした!
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