一寸太助ているつもり さんの口コミ

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    水越門樋

    富士見市の指定有形文化財・建造物の説明版の内容を写す

    水越門樋 (みずこしもんぴ)

     この煉瓦(れんが)製の樋門は、明治37年(1904)に水越排水に新河岸川からの逆流を防ぐために造られたものです。
     通水口の断面形はかまぼこ状のアーチ型、扉は水の流れに反応して開閉する観音開き構造となっています。煉瓦の積み方は、長面の段と短面の段を交互に積むイギリス積みと呼ばれるものですが、通水口上のアーチづくりには短面を縦に三段、上端部は短面を縦に一段積み、意匠性を出しています。表面に「水越門樋」、裏面に「明治37年2月」の銘板がつけられています。
     煉瓦製の樋門は、明治時代中頃~大正時代にかけて埼玉県内に数多く造られた、県を代表する近代化遺産です。富士見市内にも荒川と新河岸川沿いに7基以上造られましたが、現在は2基が残るだけとなっています。
          富士見市・富士見市教育委員会

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    ※2基・・・水越門樋、山形樋管
    ※樋門は全国各地に見受けられますが、木造や石造が多く、煉瓦造りの樋門が数多く建造された埼玉県は全国的に見て特異です。
    ※煉瓦の積み方はいろいろですが、代表的な積み方のイメージ図(インターネットより)

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    ふじみ野駅(西口)

    モニュメン「家族の肖像」 作品コンセプトを写す

    ■作品コンセプト

     モニュメント「家族の肖像」はこの街の理想の姿を象徴しています。

     「家族の肖像」は左から「母」「子」「父」「孫」「祖父」で構成され家族の暖かさや安らぎを思い、人々とともに富士見市に暮らす幸せをメッセージとして伝えます。家族は、愛情や優しさ、そして安らぎに溢れたコミュニティの核であり、その核が共感という感情でつながった集合体こそが理想の街ではないでしょうか。

    作品名: 「家族の肖像」 Family Portrait
    作家名: 高須賀 昌志  Masashi Takasuka

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    ふじみ野駅(東口)

    モニュメント「富士見 夢の舟」 作品コンセプトを写す

    ■作品コンセプト

     このモニュメント「富士見 夢の舟」は、富士を夢見る舟として、 富士山を感じて欲しいこと、  夢の船着場(駅)から大きな夢を抱き夢の舟に乗って大海原に乗り出すこと、 また帰ってくること、 そして柱が積み上がったイメージは、知恵を重ねて一つ一つの課題を解決しながら住みよい街にすること などを暗示させると共に 富士山の溶岩や市の木「ケヤキ」が育つ姿もイメージしています。
     また、中央の時計モニュメントは、市の花「ふじ」をイメージし、旧三か村などを暗示させる三ブロックから構成しました。
     そしてこれら全ての形で、富士見市の人々の思いが「和/わ」で繋がることを願い 「わ」のラインで表現しました。
     富士見市で生み育てたふじみ野の街のシンボルとして、また空間枯山水として眺めていただければ嬉しく思います。

    作品名: 「富士見 夢の舟」 FUJIMI Dream Vessel
    作家名: 鈴木 尚和      Hisakazu Suzuki

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    東上線月見橋

    東上線月見橋(つきみばし)の説明板の内容を写す

     この橋は、大正3年(1914年)東上線鉄道敷設工事により水谷地区の台地を切り通したことにより地区が分断されることから、生活のための通路として架けられたのが始まりで、当時は月見橋と呼ばれていたとのことです。
     昭和28年(1953年)複線化により2代目の架け替えが行われ利用してきましたが、老朽化により平成22年(2010年)6月、3代目となる現在の橋に架け替えられました。
     初代から3代目の架け替えに至るまでの96年間の永きに亘り、水子と針ヶ谷の生活の架け橋として、地域の皆様に、親しまれてきたことから、橋名を月見橋と致しました。
     これからも地域の大切なシンボルとして存続することを希望します。

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    榛名神社

    富士見市の記念物(天然記念物)のイチョウの説明板の内容を写す

    市指定記念物
    イチョウ
    昭和58年6月20日指定

     イチョウは、植物学的に古い起源をもち、裸子植物の代表として日本全国に分布しています。高さ30mにも達するものがあり、古い木になると「チチ」といわれる根が下がっているものもあります。
     この榛名神社のイチョウは、市内やその周辺でも最大級のものです。

      樹   高  約20m
      樹   径  1.5m
      推定樹齢  400年

    富士見市教育委員会

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    2017.12.2 撮影のイチョウ

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    南畑八幡神社

    神社案内板と力石説明文の内容を写す

    八幡神社

     八幡神社は、下南畑1148番地に鎮座する。誉田別之命(ほんだわけのみこと)・神功(じんぐう)皇后・姫大神・阿蘇姫命・菅原道真公・北極星を祭神とし、稲荷・八雲・御嶽・琴平の摂社末社を持つこの神社の歴史は古い。
     応永7年(1400)、足利満兼が当地を鶴岡八幡宮に寄進して社領となり、同年同社を分祀奉斎した時におこると伝えられている。八幡社に奉納された鰐口が社宝として伝えられている。
     また、天文(1532~1555)の頃、此の地を領し在城した。難波田弾正は当社をあつく崇敬したという。境内には百余年の樹齢をほこる杉などあったが、大水・大風で今はその姿はない。

    富士見市

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    力石

     力石は、神社の祭礼などで力くらべに使われました。江戸時代から明治時代にかけて全国的に盛んに使われ、富士見市内でもこの頃に奉納された力石が、神社の境内にたくさんあります。
     八幡神社には4つの力石があり、そのうち2つには石の重さとそれを奉納した年月が記入されています。石に書かれた重さと実際の重さは少し違いますが、最も軽いものでも100kg近くあります。
     一 奉納 力石36貫目(135kg) 3月日
     二 奉獻 文化7庚午歳(1819年)  力石40貫目余(150kg)  八月吉日 仲
     三     26貫目(97・5kg)
     四     41貫目(154kg)

    整備 平成14年5月3日
        南畑八幡神社

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    諏訪神社

    富士見市の記念物(天然記念物)のケヤキの説明版の内容を写す

    記念物
    ケヤキ
    昭和50年11月1日指定

     ケヤキ(欅)は、代表的な落葉広葉樹で、武蔵野では屋敷林として多く植えられています。建築材などに多用され、富士見市の木として親しまれています。
     諏訪神社のケヤキは、社林の風致的な存在として親しまれています。

    樹高 約20m
    樹径 約2m
    推定樹齢 約500年

    富士見市教育委員会

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    ケヤキは昭和57年(1982)に「富士見市の木」に選定されています。

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    針ヶ谷氷川神社

    案内板の内容を写す。

    針ヶ谷 氷川神社

    御祭神 素戔嗚命(すさのおのみこと)
    祭 事  元旦祭 1月1日
          祈年祭 2月25日
          例大祭 4月12日
          大 祓 7月28日
          新嘗祭 11月28日
    由 緒
     創立年月日は不詳であるが、元禄年間に針ヶ谷村が川越領となり、舘村氷川神社(現・志木市柏町に鎮座)を分祀し、当社を創建したと云う(志木町字城山村社氷川神社社蔵記録)。
     明治5年、社格御制定の節に、古来より一村の鎮守であることから村社に列した。氏子の魂の寄り集う所として、また里人の唯一の慰安として殷賑を極めた。
     村民信仰の殿堂として、神徳極めて高く、社殿も次第に整い、現在の社殿は平成4年11月吉日に氏子の総意により完成を見たものである。
    平成5年3月

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    榛名神社

    榛名神社由緒を読み写す。

    榛名神社由緒
    勝瀬総鎮守
    御祭神  埴山姫命(土・植物を司る神)
           豊受姫命(食物を司る神)
    年中祭事 1月1日  元旦祭
           2月3日  節分祭
           2月20日 祈年祭(豊作・諸事繁栄祈願祭)
           3月初午日 稲荷社祭(初午)
           4月10日 例大祭(神楽・囃子・植木市・露店)
           5月1日  塞祭
           5月10日 苗木市
           7月28日 夏越大祓式(茅の輪くぐり)
           11月適宜日 七五三
           11月20日 新嘗祭(新穀・諸事感謝祭)
           12月冬至日 冬至星祭
           12月28日 釜しめ 頒布
    由緒   詳細創立年代は不明。本社再建が文明9暦丁酉年(室町中期 西暦1477年)4月10日武州入東郡勝瀬村大願主林光防武州吉見領小泉村大工加藤杢之助と棟札に明記されている。川越城主松平大和守の崇敬あり毎年御供米一斗五升宛下附せられた。明治5年村社に列した(明治39年4月神饌弊帛料供進指定)

    伝説   当社の創建に関する地元の言伝え「お船山伝説」あり。一説は、昔この辺が海だった頃、榛名大神がお供のお二人方をお連れになり、船に乗られ遠くからここに来られました。船は無事に岸辺(現在の榛名神社の南端にあたる海岸線)に到着し、めざす陸地に上がることができました。岸辺に繫いでおいた船はいつか岸から離れ、海上を漂い、「お船山(神社南方約100mにある地)」に沈みました。ちなみにお連れは船頭の鷺森大権現様と大弁財天女様です。
          もう一説は、一行の船がお船山で沈み困ったが、神社南端の岸辺からのびていた大きな藤の木の蔦を伝って神様達が陸に上がりこの地に鎮座されたという説もあります。ちなみに神仏習合時代の榛名様を「日本藤島榛名満行大権現」と言った。

    境内および境外地   約2570坪
    摂末社
    稲荷神社   祭神 宇迦御魂命 例祭旧暦2月初午。天明3年(西暦1783年)建立と伝わる。明治40年6月5日字稲荷窪の稲荷社、稲荷前の稲荷社、屋敷廻りの稲荷社を合祀。その後複数の稲荷社を統合、合祀。
    厳島神社   祭神 市杵島姫命 創立年月不詳 享和壬戌年4月当村塩野源右衛門再営の棟札がある。船山弁財天と称したが明治7年5月、社名を改め当字谷田、お船山より遷座。明治41年6月17日、お船山より石碑をこの隣地に移転。
    富士神社   祭神 木花開耶姫命 明治41年年6月13日当字茶立久保、オトウカ山より移転。
    藤塚神社   祭神 稚産霊命 創立年月不明。寛政6年(西暦1794年)3月吉田願主塩野半平再建すとある。
    大穴天神社  祭神 大己貴命 創立年月不明。昭和27年5月社殿改築。
    疱瘡神社   祭神 大禍津日命 安永年間(西日本を虫害が襲った享保の大飢饉、東北地方等の冷害を発端とする天明の大飢饉の時代)村内にて建立したと伝えている。

    信仰
    万物育成 諸々増殖 大地守護 五穀豊穣 食物守護 厠守護。

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    コロボックルの碑

    富士見市の有形文化財の説明板の内容を写す。

    有形文化財
    コロボックルの碑
    昭和50年11月1日指定

     コロボックルの碑(貝塚稲荷旧跡碑)は大正元年に建立されたものですが、碑文に記された建立の事情こそ富士見市の文化財保護の原点を示すものです。
     建立の5年前、東京帝国大学の学士十数名がこの地を訪れました。彼等は貝塚山から採集された土器や石器を見て 「いにしえのコロボックルが残したものである」と説明しました。「コロボックル」とはアイヌの伝説に出てくる先住民であり、当時は、縄文土器や石器はコロボックルが残したものという説がとなえられていました。その3年後に稲荷神社の跡地を開墾したところ、古墳時代の人骨と鉄刀が発見されました。発見者は人骨を神社に改葬し鉄刀を帝室博物館に寄贈しました。以上の顛末を記念して建てたのがこの石碑です。

    富士見市教育委員会

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