一寸太助ているつもり さんの口コミ

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    富士見橋

    富士見橋の近くにある「榎町公園」の記念碑の内容を写す

    碑文
     本地区は、富士見市の南部に位置し、地区南は柳瀬川左岸に接し、西は東武東上線、北は国道254号線(浦所バイパス)、東は富士見市道41号線に囲まれた富士見市大字水子字榎町、字向山前、字別所前の一部からなり地質は非常に軟弱な腐植土で、近年まで所々に湧水個所のあった水田地帯で面積1・97haよりなる市街化調整区域であった。
     この地区の公共施設の整備改善及び土地利用の増進を図るべく、関係地権者が開発整備の方法について協議を重ねた結果、土地区画整理事業を実施することに決定した。昭和54年3月30日に市街化区域に編入され同年6月に準備委員会を設置、個人共同施行として昭和55年7月11日付で埼玉県知事より認可され、同年7月14日設立総会を開催した。その後、事業をすすめる過程で改めて組合施行が有利であると判断し、昭和56年10月14日個人共同施行を解散し、土地区画整理組合を設立した。
     総事業費1億6千8百万円、平均減歩率17・62%で、道路面積2,158㎡、水路面積141㎡、公園面積651㎡の公共用地と保留地1271㎡を生み出し事業費に充当、県、市及び関係地権者のご指
    導、ご協力をいただき整備を行った。
     昭和57年12月3日には換地処分を終了。ここに記念碑を建立し、富士見市榎町土地区画整理事業を竣功する。
         昭和57年12月吉日
            富士見市榎町土地区画整理組合

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    護国寺

    富士見市の指定有形文化財・考古資料の説明版の内容を写す

    有形文化財
    板碑
          昭和50年11月1日、昭和58年6月20日指定
     板碑は、鎌倉時代の中頃から戦国時代にかけて造立された中世の供養塔です。長瀞付近で産出する緑泥片岩(りょくでいへんがん)で造られたものがほとんどを占めます。上部に阿弥陀仏を意味する梵字(ぼんじ)(種子)等を刻み、その下に造立した年月日や造立者、目的等が記されています。
     護国寺境内の板碑3基のうち、2基はほぼ完全で高さが3m近くあります。この2基は種子の他は摩滅して年号等が不明ですが、もう1基には「建長4年11月8日 黒州比丘尼」と記されています。建長4年は鎌倉時代中頃(1252年)にあたり、慈光院跡の板碑とともに市内最古のものです。いずれも細身で、種子の上に額があり一段厚く張り出すという共通点を持ち、新河岸川流域の初期板碑の特徴的な一群として注目されています。
         富士見市教育委員会
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    *撮影時、本堂が建設中でした!
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    慈光院跡の大型板碑

    富士見市の指定有形文化財・考古資料の説明版の内容を写す

    市指定 有形文化財
    板碑(いたび)
              昭和58年6月20日指定
     板碑は、鎌倉時代の中頃(13世紀の前半)に武蔵を中心に発生し、戦国時代まで造立された供養塔婆(くようとうば)です。秩父の長瀞や小川町でとれる緑泥片岩(りょくでいへんがん)を用いていることから青石塔婆(あおいしとうば)とも呼ばれます。
     この慈光院跡(じこういんあと)の板碑は、阿弥陀仏を表わす梵字((ぼんじ)種子(しゅじ))の下に建長4年6月1日と刻まれており、鎌倉時代中頃(1252年)に造立されたことを物語っています。
     富士見市内には、400基以上の板碑が確認されていますが、この板碑は護国寺境内の板碑とともに、板碑発生期の特徴をもつ市内最古のものです。
              富士見市教育委員会

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    針ヶ谷氷川神社

    針ヶ谷氷川神社に隣接する「針ヶ谷中央公園」の記念碑の内容を写す

    碑文
      この地は、武蔵野台地を流れる棚瀬川の左岸、標高約20mの台地上に立地する。富士見市が海であった縄文時代には貝塚、また、弥生時代には谷の湧き水をめぐるように大きな集落が形成され稲作も行われいた。原始・古代より人々が生活していた針ヶ谷地区は近世には畑作を中心とした村としてこれまで営まれてきた。
     本市最初の区画整理事業であるみずほ台土地区画整理事業地区の一部であったが時期尚早などの意見により、この針ヶ谷地区を外した事業として決定した。しかし、地元の地権者による、健全な街づくりへの熱意は日増しに高まり区画整理事業の気運が熟し、説明会、関係機関との協議を重ねるとともに準備委員会を経て、昭和53年11月14日に埼玉県知事の認可を得、「針ヶ谷特定土地区画整理組合」が誕生した。
     施行面積42・5ha、総事業費60億3千7百万円の巨費を投じ、都市計画道路、区画道路、公園、上下水道等を整備し、地区内に小学校を誘致するとともに、安全で快適な環境つくりのため、「地区計画」を導入して、良好かつうるおいのある居住環境に努め、昭和61年6月には、建設大臣賞を受賞した。
     設立から16年有余の歳月にわたる難事業を一致協力し、平成7年1月に換地処分をするとともに、事業の目的である公共施設の整備改善と宅地の利用増進を達成した。組合員の絶大なる協力と相互信頼及び国、県、市当局並びに関係各位の多大な協力と適切な指導、援助のもとに事業の終結をみることができたことに対し、深く感謝する次第である。本事業が市の将来の発展に希望を託し、ここに竣功記念碑を建立し永く後世に伝えるものである。
         平成7年3月吉日
         富士見市針ヶ谷特定土地区画整理組合

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    *針ヶ谷中央公園はスポット地に登録されていなかったので、隣接地での口コミです*
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    お舟山

    「お船山の由来」の説明板の内容を写す

    「お船山(ふねやま)」の由来

     このお船山には次のような言い伝えがあります。
     一説には、その昔この辺が海辺だった時に、榛名様(はるなさま)がお供のお二方(ふたかた)をお連れになって、船に乗られて遠くからこの地に来られました。船は無事に岸辺(現在の榛名神社の南端にあたる海岸線)に到着し、めざす陸地に上がることができました。岸辺に繫(つな)いでおいた船はいつしか岸から離れ、海上を漂(ただよ)い、ここに沈みました。
     ちなみにお連れの神様は船頭(せんどう)をなされた鷺森大権現(さぎもりだいごんげん)様と大弁才天女(だいべんざいてんにょ)様のお二方です(現在、鷺森様は駒林、鷺森小学校西方に鎮座(ちんざ)されています。弁天(べんてん)様は明治始めまでここに鎮座されていましたが、今は榛名神社境内(けいだい)に祀(まつ)られています)。
     またもう一説には一行(いっこう)の船がお船山で沈み困ったが、北方の陸地からのびていた大きな藤の木の蔓(つる)を伝って神様達が陸に上がり鎮座されたという説もあります。
     南に貝塚山(かいづかやま)を拝(おが)む、地元の伝承(でんしょう)の地です。
     このように、ここは昔、神様のお船が沈んだ場所と伝えられ、この地を「お船山」と言います。
               平成22年11月吉日
                     榛名神社氏子会

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    大澤家長屋門

    富士見市の指定有形文化財・建造物の説明版の内容を写す

    有形文化財(建造物)
    大澤家住宅・表門(長屋門)
               平成5年7月7日指定
     大澤家は、伝承によれば天正18年(1590)に当地に土着し、代々大久保村の名主をつとめた家柄であり、長屋門形式の表門はその象徴ともいえる建物です。
     規模は、桁行10.5間、梁間2間で、壁の上部を白漆喰、下部を板張としています。屋根は、寄棟造りで、昭和10年頃の改築の際に瓦葺きにしましたが、かつては草葺きでした。門の内部は板床の「上長屋」と土間の「下長屋」に分かれています。
     柱には、慶応2年(1866)の武州一揆の際に付けられたとされる刃物傷が残り、建築年代の古さを知ることができます。
     平成19年(2007)の修理では、土台の修正、屋根瓦の葺替えのほか、正面の壁を柱の痕跡などをもとに改築以前の姿に復元しました。
     大澤家の屋敷構えは、主屋(市指定・難波田城公園に移築)を中心に、正面に表門、東に穀蔵(市指定)が配され、かつては土蔵・味噌蔵・文庫蔵・養蚕小屋・灰小屋・離れ座敷なども建てられていました。
               富士見市教育委員会
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    *個人宅ですので長屋門の中には入れませんので、ご注意ください*
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    性蓮寺

    性蓮寺の近くにある、説明板「鎌倉道」の内容を写す

    鎌倉道

     鎌倉道は、中世、関東及び周辺諸国の御家人が「いざ鎌倉」というときに鎌倉へ参集するために整備された道路である。
     政治的・軍事的な意味での道だけでなく、伝馬道として物資の輸送流通という役割と、文化伝播という学問・宗教の発達にも大いに貢献した道である。
     当時は、上道・中道・下道と呼ばれる幹線道路があり、埼玉県内には上道・中道が南北に通っていた。
     富士見市内を通る鎌倉道は、上道・中道以外の県内各地に残されている伝承道の一つで、「羽根倉(はねくら)道」ともいわれる。この道は、中道より与野へ至り、ここから南下し羽根倉で荒川を渡り、志木の宗岡(むねおか)を経て市内の下南畑(なんばた)・水子(みずこ)・針ヶ谷(はりがや)を通り、所沢で上道とつながり、府中・鎌倉へ続いていたものである。この道を通った高麗経澄(こまつねずみ)が難波田(なんばた)九郎三郎を打ち破った羽根倉合戦(1351・観応2)の古戦場がこの鎌倉道沿いにある。
         平成5年3月
              埼玉県
              富士見市
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    この説明板の立っている場所がスポット地として登録されていないので、近くのスポット地である「性蓮寺」で口コミした。場所は「性蓮寺」に向って右脇道をゆくと立っている。説明板のすぐそばには「お井戸」(湧水池)があり二基の弁財天が祀られている。

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    みずほ台中央公園

    竣功記念碑の内容を写す

    富士見市みずほ台土地区画整理事業
    竣功記念碑
    埼玉県知事 畑 和 書

    碑文
     みずほ台駅設置と急激な都市化に対処する百年の大計と2大目標達成の為、みずほ台土地区画整理組合が誕生した。昭和44年新都市計画法に即応する為、地元有志相計り、富士見町長指示のもとに準備委員会を結成して地権者の統合に努めた。かくして紆余曲折の苦難を経ながら3箇年、昭和46年12月知事の認可を得、翌1月18日組合が結成された。
     面積87.4ha、地権者599名、資金計画13億8,500万円、5箇年計画で発足した。埼玉県都市整備公社の適切な指導と委託事業の敏速な処理、役員・職員の熱意・組合員の理解と協力等すべて人の和、時の運を得て仮換地の公平な実施で信頼を売ることができた。また、都市計画街路進展で事業の偉大性を認識し、石油ショック時の資金源の重要性を強く確認、時代の変化と経済の変動等により事業計画を変更すること4回、4箇年の期間延長により、資金計画32億2,500万円を費やし 全地域に上水道、分流式下水道、舗装道を完備、駅前広場の充実、更に、東武鉄道の理解と協力を得て 昭和52年10月21日みずほ台駅開設となり、地域住民の喜びとなりました。本組合もこれを祝して駅前広場中央の東口に瑞光、西口に和と称する記念施設によってみずほ台の前途限りない発展を象徴した。
     回顧すれば準備委員活動以来11年 ついに2大目標を達成し県下に誇り得る姿で完成、この程全国土地区画整理組合連合会長から、最も卓越した模範事業として第18回総会席上栄誉に輝く表彰を受賞致しました。本事業を通して組合員600余名の偉大なる力を感ぜずにはいられません。
     国、県、市当局並びに関係各位の永年の御指導御協力を心から感謝し、完成の喜びと致します。
    茲に竣功記念碑を建立し、この偉大なる成果を永遠に伝え都市整備事業の範とする。
    昭和54年12月吉日建立
    富士見市みずほ台土地区画整理組合

    事業概要
    区画決定 昭和46年3月23日     施行期間 自昭和46年12月21日
    設立認可 昭和46年12月21日           至昭和55年 3月31日
    設立総会 昭和47年1月18日     総事業費 3,225,000,000円
    事業完成 昭和55年3月31日     道路延長 24,439m
    施行面積 873,668㎡         水路延長 764m

    駅前広場 東口 5,000㎡
           西口 5,000㎡
    公園施設 7箇所 26,303㎡
    保留地   31,026㎡
    減歩率   平均23.22%

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    栗谷津公園

    説明板と「倶利伽羅不動明王」由来碑の内容を写す

    ◆栗谷津公園 (くりやつ)

     この公園は、針ヶ谷(はりがや)特定区間整理事業によって公園用地として確保され、昭和60年度に整備されたものである。自然な景観の公園にするため、区画整理前の傾斜や自然木(杉)をそのまま残している。特にこの杉林の中の谷間は、沢の水源地となり、湧水が枯れることなく流れている。地元の人々は「不動様の流れ」と呼び、公園内にはこの不動様(倶利伽羅不動明王)の石塔のわきから出ている湧水を利用した池がある。昔の人たちは不動様の流れを飲み水として利用した時もあり、下流の水田はこの泉と他の2ヶ所からの湧水で田作りをしていた。そのため流れを荒らされないようにと願うところから、次のような伝説が生まれた。
      「ある時、一人の若者がこの小川からドジョウをたくさん捕らえ、家で鍋に入れて食べようとした。しばらくして煮えたと思い、ふたを取ったところ、中にはドジョウはなく、ただ血が煮え返っていた。その後、この小川のドジョウを取るものはいなかった。」と伝えられる。
    平成5年3月 埼玉県富士見市

    ◆倶利伽羅不動明王(くりからふどうみょうおう) 由来

     この池の水源は、年中枯れることなく流れ、栗谷ッ不動様の流れと云われ 湧水の所には「倶利伽羅不動明王」の石塔が立っている。
     この泉は、昔近隣農家の飲水、或は生活用水として欠かすことの出来ない水源であり、又、下流の水田数町歩に渡る田作り用水として利用されておりました。
     不動明王の石塔は、利剣に龍が四ツ足をからませて巻きつき、剣先をのまんとするもので背後には火焔が燃え上がった状態が表現され不動明王の象徴である。
     これは昔、不動明王が外道と論争した時 智火剣に変身し、或は更に倶利伽羅大龍に変身し敵を威圧して屈伏せしめた。また、龍王に祈れば雨を降らせ病気を治す、このような教理を祈願し、日願主、各組世話人(石塔に陰刻)の6人により嘉永元戌申年六月、この石塔が建造された。
     由緒あるこの地を、永遠に保存する意を以って針ヶ谷特定土地区画整理業の一環として用地を確保し、栗谷津公園と命名しここに築造する
    昭和61年1月 針ヶ谷特定土地区画整理組合
    由来碑寄贈 日願主 高野七五郎 末裔 高野章子

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    山形樋管

    富士見市の指定有形文化財・建造物の説明版の内容を写す

    山形樋管 (やまがたひかん)

     この煉瓦(れんが)製の樋門は、明治37年(1904)に氷川排水に新河岸川からの逆流を防ぐために造られたものです。
     通水口の断面形は箱状、扉は引き上げ式の構造となっています。新河岸川に面した表面のみが残っています。煉瓦の積み方は、長面の段と短面の段を交互に積むイギリス積みと呼ばれるものですが、上端部は短面を縦に一段積み、意匠性を出しています。
     煉瓦製の樋門は、明治時代中頃~大正時代にかけて埼玉県内に数多く造られた、県を代表する近代化遺産です。富士見市内にも荒川と新河岸川沿いに7基以上造られましたが、現在は2基が残るだけとなっています。
          富士見市・富士見市教育委員会

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    ※2基・・・山形樋管、水越門樋
    ※樋門は全国各地に見受けられますが、木造や石造が多く、煉瓦造りの樋門が数多く建造された埼玉県は全国的に見て特異です。
    ※煉瓦の積み方はいろいろですが、代表的な積み方のイメージ図(インターネットより)

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