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記念碑文を読み、縦書きを横書きにし、漢数字を算用数字にしてみた。
旧新河岸川開拓記念
土屋亮晃 謹書
旧新河岸川の歴史は南畑の歴史につながる。 かつての新河岸川は蛇行し、水量も多く 江戸時代より川越から浅草花川戸に至る重要な舟路であった。 川辺には伊佐島 蛇木 本河岸 鶉 の各河岸場があり、近村の商品輸送で栄えた。 旧河には木の太鼓橋があり、橋の両側には茶店などの商家が軒をつらねていた。 この南畑橋は、ちょうど上り下りの舟が行きかう地点であり また舟溜の場でもあった。 舟の灯が川面を照らし、夕闇を蛍が飛びかい、船頭が大声で言葉をかわし舟唄も聞こえて、風情をそえていた。
一方、度々の洪水災害を蒙っていた為 南畑村長をはじめ関係町村長によって河川改修の請願が県知事に出されて採択され 大正8年に改修計画が本決まりとなった。 しかし改修の結果水深が浅くなり舟運が困難のため昭和9年に通船停止となった。 また、南畑橋も大正14年に新川に架替えられた。
大正12年に行われた当地の新河岸川改修によって廃川となった敷地を活用して、国の食糧増産の要望に応える為 昭和26年に県農地開拓課により新河岸川第一地区開拓計画が立案された。 この開拓事業は既耕地を併買収し 国有廃川敷を加え、区画を整理して増反売渡をするものであった。
その後開拓法の廃止 農地法の改正等諸般の情勢により、開拓計画が思うように進まないうちに二十有余年を経過した。
かねてより、新河岸川開拓事業促進委員会を結成し、開拓促進の陳情をしていたところ 昭和52年に県農政課並びに県土地改良連合会の指導により、新河岸川廃川敷土地改良区を結成し同年9月に認可された。 ただちに確定測量を行ない登記を済ませ、すべての事業を完了した。 そして昭和54年3月24日に改良区を解散した。 ここに開拓事業の感性を記念し旧川のほとりに記念碑を建立する。
よどみなく流れる新河岸川とともに、この碑が当地の産業開発の歴史を後世に伝えてくれることを念願する。
勲六等 松澤卯三郎 撰文
新河岸川開拓事業
農林水産省有地面積 87,336 ㎡
建設省有地面積 63,294 ㎡
埼玉県有地面積 3,095 ㎡
民有地面積 1,147 ㎡
合計面積 154,872 ㎡
昭和54年3月吉日 建立