最新口コミ

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    勝軍地蔵

    ふじみの坂・・・石井坂・大阪

     昨日(5/12)散策していたら「石井坂上」の道標(みちしるべ)があった。かつて、「石井坂」の道標を設置しました・・・水谷公民館だより第423号(平成29年9月号)・・・の記事を見て、この町内会の「ふるさと愛」は素晴らしいと感じたことを思い出した。
     昔は、坂道を住所のかわりの目印として字名や愛着のある坂名がついていた。現在は、その坂名の道標もなく、無意識のうちに「ふるさと喪失」をしている感がある。ご存知のように都内を歩けば坂名の道標は立っている。

    【石井坂・大阪】
     水子に「勝軍地蔵」と「八雲社」の石碑がある。その先が「石井坂」である。
    小字名の石井からそう呼ばれたものと思われる。また、この坂は昔から急坂で荷車を牽いて上るのは大変で「大阪」とも呼ばれていた。坂を下る途中、左の高台に稲荷社があり、ここは鎌倉道と交差するところでもあった。

    ※坂名の説明は、ふるさと探訪部会が作成した「ふじみの坂」冊子を参照した。
    「石井坂」を上って右に少し歩くと「勝軍地蔵」の石碑がある・・・このような表現で場所を表現できればと秘かに思っている。

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    大澤家長屋門

    富士見市の指定有形文化財・建造物の説明版の内容を写す

    有形文化財(建造物)
    大澤家住宅・表門(長屋門)
               平成5年7月7日指定
     大澤家は、伝承によれば天正18年(1590)に当地に土着し、代々大久保村の名主をつとめた家柄であり、長屋門形式の表門はその象徴ともいえる建物です。
     規模は、桁行10.5間、梁間2間で、壁の上部を白漆喰、下部を板張としています。屋根は、寄棟造りで、昭和10年頃の改築の際に瓦葺きにしましたが、かつては草葺きでした。門の内部は板床の「上長屋」と土間の「下長屋」に分かれています。
     柱には、慶応2年(1866)の武州一揆の際に付けられたとされる刃物傷が残り、建築年代の古さを知ることができます。
     平成19年(2007)の修理では、土台の修正、屋根瓦の葺替えのほか、正面の壁を柱の痕跡などをもとに改築以前の姿に復元しました。
     大澤家の屋敷構えは、主屋(市指定・難波田城公園に移築)を中心に、正面に表門、東に穀蔵(市指定)が配され、かつては土蔵・味噌蔵・文庫蔵・養蚕小屋・灰小屋・離れ座敷なども建てられていました。
               富士見市教育委員会
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    *個人宅ですので長屋門の中には入れませんので、ご注意ください*
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    南通遺跡の復元住居(弥生時代)

    ふじみの坂・・・堂山坂

     富士見市には低地から台地、小河川に挟まれて台地から台地へと、多くの坂道がある。昔はその坂道を住所のかわりの目印としていたので、字名だけでなく愛着のある個性的な坂名がついている。さらに、その坂名に伝説などあれば、より歴史を感じながら歩くことができる。

    【堂山坂】
     針ヶ谷小学校から浦所バイパスに通じる坂道を「堂山坂」という。昔、坂の下まで柳瀬川が流れていたとき、大蛇の胴が流れつき、胴塚を築いて葬ったので「胴坂」と呼んだが、後に「堂山」と書くようになったという。
     この話は柳瀬川流域の志木、新座、針ヶ谷あたりに伝わっている伝説で、平安時代に、この一帯を支配していた藤原長勝(おさかつ)は広大な大蛇ヶ淵(おろちがふち)を水田に変えようとしたが、大蛇の怒りに触れて工事は失敗してしまった。そこで、不動明王の助けをかりて大蛇の首を刎(は)ねることができた。胴体は針ヶ谷に流れ着き、首は下流の長勝の館(現、志木第二小付近)の裏で発見されたので、祠を建て「首弁天(かしらべんてん)」と名付けて弔ったという。

    ※坂名の説明は、ふるさと探訪部会が作成した「ふじみの坂」冊子を参照した。

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    水子貝塚公園・資料館

    水子貝塚資料館・展示室でビックリ!「火焔型土器」

     連休の始まり(4/28)に陽気に誘われ散歩。中休みに水子貝塚公園・展示室に入った。なんと「火焔型土器」が展示されていた。思わず魅入ってしまう。水子貝塚で何故?
     下に説明文がありました・・・富士見市羽沢遺跡出土の「ムササビ土器」(県指定文化財)を新潟県津南町の農と縄文体験実習館「なじょもん」の春季企画展「縄文遺物と現代美術 考古学から生まれるアート」での展示のために貸出しています。それに伴い、考古資料の相互貸借として津南町出土の「火焔型土器」を展示しています。

    *富士見市HPを見ると
    新潟県津南町出土の火焔型土器
    展示期間:4月21日(土曜日)~6月24日(日曜日)(予定)
    とありました。

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    性蓮寺

    性蓮寺の近くにある、説明板「鎌倉道」の内容を写す

    鎌倉道

     鎌倉道は、中世、関東及び周辺諸国の御家人が「いざ鎌倉」というときに鎌倉へ参集するために整備された道路である。
     政治的・軍事的な意味での道だけでなく、伝馬道として物資の輸送流通という役割と、文化伝播という学問・宗教の発達にも大いに貢献した道である。
     当時は、上道・中道・下道と呼ばれる幹線道路があり、埼玉県内には上道・中道が南北に通っていた。
     富士見市内を通る鎌倉道は、上道・中道以外の県内各地に残されている伝承道の一つで、「羽根倉(はねくら)道」ともいわれる。この道は、中道より与野へ至り、ここから南下し羽根倉で荒川を渡り、志木の宗岡(むねおか)を経て市内の下南畑(なんばた)・水子(みずこ)・針ヶ谷(はりがや)を通り、所沢で上道とつながり、府中・鎌倉へ続いていたものである。この道を通った高麗経澄(こまつねずみ)が難波田(なんばた)九郎三郎を打ち破った羽根倉合戦(1351・観応2)の古戦場がこの鎌倉道沿いにある。
         平成5年3月
              埼玉県
              富士見市
    *************************
    この説明板の立っている場所がスポット地として登録されていないので、近くのスポット地である「性蓮寺」で口コミした。場所は「性蓮寺」に向って右脇道をゆくと立っている。説明板のすぐそばには「お井戸」(湧水池)があり二基の弁財天が祀られている。

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    富士見市役所

    「富士見お散歩マップ 東大久保・南畑編」が発行されている!

     4/21(土)大宮から来たという元気なおじさんに木染橋付近で尋ねられた。阿蘇神社に行くのに、この新河岸川を登れば良いか?と片手に「富士見お散歩マップ(東大久保・南畑編)」もっている。中味を見せてもらうと良くできている。表紙もやさしくていい感じだ。どこで入手したの?と逆に聞くと、難波田城で貰ったそうだ。
     別れた後、近くの水子貝塚公園に行って、マップをゲットする。良く見ると当アプリの「ふじみ☆ラボ」の発行だ。散策人としては大いに助かる。
     ※入手したマップの表紙をスキャンした。マップは8枚折りとなっていて、折った状態のサイズは約18cm(縦)*約13cm(横)の手軽な散歩サイズ。

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    和気あいあい

    飲み過ぎ🍻食べ過ぎ🍤確定のお店!

    秋田美人のママが気前よ過ぎ!
    何をたのんでも美味しくて!つい食べ過ぎてしまいます😅
    お財布にもやさしい😄庶民の味方です( *´︶`*)

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    時計塔

    からくり時計塔は今の季節が一番絵になる

     ららぽーとの渋滞を尻目に散歩していたら、ハナミズキ、フジ、ツツジなどに彩られ、からくり時計塔のまわりが美しいスポットになっていた。
     来週の日曜日4/22は「子どもフェスティバル」。フェスティバルのイベントの一つとして、からくり時計の動物たちの登場を見たいものだ。
     塔の案内板によると、土曜日・日曜日は午前10時、12時、午後3時、5時に登場し、3分ほど楽しいメロディを奏でるようだ。

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    みずほ台中央公園

    竣功記念碑の内容を写す

    富士見市みずほ台土地区画整理事業
    竣功記念碑
    埼玉県知事 畑 和 書

    碑文
     みずほ台駅設置と急激な都市化に対処する百年の大計と2大目標達成の為、みずほ台土地区画整理組合が誕生した。昭和44年新都市計画法に即応する為、地元有志相計り、富士見町長指示のもとに準備委員会を結成して地権者の統合に努めた。かくして紆余曲折の苦難を経ながら3箇年、昭和46年12月知事の認可を得、翌1月18日組合が結成された。
     面積87.4ha、地権者599名、資金計画13億8,500万円、5箇年計画で発足した。埼玉県都市整備公社の適切な指導と委託事業の敏速な処理、役員・職員の熱意・組合員の理解と協力等すべて人の和、時の運を得て仮換地の公平な実施で信頼を売ることができた。また、都市計画街路進展で事業の偉大性を認識し、石油ショック時の資金源の重要性を強く確認、時代の変化と経済の変動等により事業計画を変更すること4回、4箇年の期間延長により、資金計画32億2,500万円を費やし 全地域に上水道、分流式下水道、舗装道を完備、駅前広場の充実、更に、東武鉄道の理解と協力を得て 昭和52年10月21日みずほ台駅開設となり、地域住民の喜びとなりました。本組合もこれを祝して駅前広場中央の東口に瑞光、西口に和と称する記念施設によってみずほ台の前途限りない発展を象徴した。
     回顧すれば準備委員活動以来11年 ついに2大目標を達成し県下に誇り得る姿で完成、この程全国土地区画整理組合連合会長から、最も卓越した模範事業として第18回総会席上栄誉に輝く表彰を受賞致しました。本事業を通して組合員600余名の偉大なる力を感ぜずにはいられません。
     国、県、市当局並びに関係各位の永年の御指導御協力を心から感謝し、完成の喜びと致します。
    茲に竣功記念碑を建立し、この偉大なる成果を永遠に伝え都市整備事業の範とする。
    昭和54年12月吉日建立
    富士見市みずほ台土地区画整理組合

    事業概要
    区画決定 昭和46年3月23日     施行期間 自昭和46年12月21日
    設立認可 昭和46年12月21日           至昭和55年 3月31日
    設立総会 昭和47年1月18日     総事業費 3,225,000,000円
    事業完成 昭和55年3月31日     道路延長 24,439m
    施行面積 873,668㎡         水路延長 764m

    駅前広場 東口 5,000㎡
           西口 5,000㎡
    公園施設 7箇所 26,303㎡
    保留地   31,026㎡
    減歩率   平均23.22%

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    寛~くつろぎ

    23日は富士見の日やっています!との事

    写真は醤油そばですが毎月の23日はまぜそばを50円引きで提供して頂いているとの情報を本日いただきました。今度行ってみます!

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