最新口コミ
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榛名神社
榛名神社の神紋は「さがり藤」
藤の花をデザイン化した「藤紋」は、インターネットで検索すると・・・
藤は長寿で繁殖力が強く、めでたい植物として、その「藤の花」をデザイン化したのもの。中臣鎌足が大和に藤原の里を下賜されてから、のちのちまで栄えた藤原氏にあやかって、多く使用するようになったという。
市内の神社・寺院で「藤紋」が見られるのは、散策人が知り得ているのは、榛名神社と性蓮寺。だからといって藤原氏と関係があったと言っているわけではありません。調べても、聞いてもいません。
市の花「ふじ」をホームページでみると・・・
優雅さと気品をそなえており、ひとつひとつの花が集まって咲く様子が、人と人との語り合いや団結を感じさせ、富士見市民がひとつひとつの花のように思われます。
と書いてある。
「ひとつの対象物」を、いろいろな観点で、良い点を見出していることが、面白い。 -
三井ショッピングパーク ららぽーと富士見
ご存知でしょうか?フジミテラス( ´ ▽ ` )
是非ともお買い物ついでに覗いて頂きたい3Fにあるテラスです。
天候と運が良ければ、富士見市の名付けの親( *^艸^)
Mt.富士を拝めますよ(*˘︶˘*).。.:*♡ -
蛭沼陸田開拓碑
記念碑文を読み、縦書きを横書きにし、漢数字を算用数字にしてみた。
蛭沼陸田開拓のあゆみ
この地は旧荒川の堤外地で、外野(そとの)と呼ばれている。江戸時代に耕地として開発され、もっぱら畑作地として利用されていたらしい。昭和初期には、その約半分は桑園であった。第二次大戦後、食糧増産の気運とともに埼玉県の指導によって昭和24年に荒川第一地区開拓事業がはじまり、耕地の区画整理が行われた。同時に、水稲を作付けしようという農家が集まり、陸田化計画がスタートした。新井房吉氏・新井栄一氏・大棹俊吉氏・斉藤精次氏の四氏が発起人となり、翌年「蛭沼陸田組合」が誕生したのである。その概要は次の通りである。
・水田面積 約5町5反歩
・組合員数 28名
・施 設 10馬力モーター口径5インチ渦巻ポンプ
その後、昭和28年に拡張され、耕作者のほぼ全世帯が加入する現在の形となった。同時に、「蛭沼第二揚水組合」と改称した。
・水田面積 約11町5反歩
・組合員数 53名
・施 設 20馬力モーター口径8インチ渦巻ポンプ
これにより水稲と麦の二毛作が定着し、所得が倍増することになり、農家経営の安定に多大な貢献をすることになった。しかし、このような努力の賜物である蛭沼の耕地は、その後大きな歴史的な変遷を辿ることになった。昭和40年代には、国策として減反政策が全国各地で進められ、この蛭沼も大きな影響を受けた。さらに昭和47年には、県立青年の家及び市立老人福祉センター建設のために揚水機場を移転した。昭和50年代に入ってびん沼調節池治水対策事業が始まったことにより、この祖先より受け継いできた土地が買収されることになった。土地を手離すことは、農民にとって大変つらいことである。しかし、人々を洪水から護る為の大切な事業に、関係地主はびん沼調節池地主会(会長新井弘氏)を結成し、最大限の協力をした。平成6年にその用地買収が終わり、蛭沼は耕地としての使命を終えた。
この地に、トンボや蝶が飛び交う公園の完成を心から期待して、蛭沼第二揚水組合の約半世紀にわたる歩みを記念碑に記し、ここに本組合は解散する。
平成8年8月吉日 撰文 蛭沼第二揚水組合 -
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上鶴馬氷川神社(諏訪)
かわいいホタルたち
神社に入って、右の段を下ってホタルがいる場所に着くまで、肝試しに近い感覚でした。
それだけに、ホタルの光を見つけた時にはどれだけ癒されたことか!
ホタルが飛び交う、という程ではないけど、ホタル、いるんだなあ~って感じに酔いしれました! -
上鶴馬氷川神社(諏訪)
【ホタル鑑賞】出来ます!
数日前より、ホタル達が飛び始めました!
是非とも皆さんで【ホタル鑑賞】にお出掛下さいね♪
※虫除けは、事前にお願い致します。
また、暗く足元が滑りやすい場所ですので怪我などなさらない様に十分にご注意下さい。