南畑排水樋管あたりの荒川土手
今年も年末、荒川土手で夕日のシルエット
荒川土手で360度パノラマが良く見える季節となりました。機会があれば良く散歩します。 今年も最後の週となり、またまた平成30年のサンセットということで、夕日のシルエットの口コミです。
上: 笠山~西御荷鉾山・東御荷鉾山~浅間山のシルエット(12/24撮影)
下: 大室山~富士山のシルエット(12/28撮影)
荒川土手で360度パノラマが良く見える季節となりました。機会があれば良く散歩します。 今年も最後の週となり、またまた平成30年のサンセットということで、夕日のシルエットの口コミです。
上: 笠山~西御荷鉾山・東御荷鉾山~浅間山のシルエット(12/24撮影)
下: 大室山~富士山のシルエット(12/28撮影)
川越、上福岡、苗間を経て砂川堀に架かる栄橋を渡り、渡戸に入ると昔は「しつけの車屋」・「新水車(しんぐるま)」と呼ばれた榊原家の水車屋があり、周囲には湿地や水田が広がっていたという。
この地へ南畑方面から田を仕付(田植え)に行く時、戻る時にどうしても通らなければならない坂道で、いつしか「しつけの坂」、水車屋の名前から「新水車の坂」と呼ばれるようになった。
この道は川越から江戸に通じる裏街道的な江戸道で、坂上の少し手前の角に庚申塔が建立されており、右側面に「是ヨリ右江戸道」、左側面は寛政四年(1792)十一月鶴馬村願主渡戸中の銘文が刻まれ旅する人たちへの道するべでもあった。
※坂名の説明は、ふるさと探訪部会の「ふじみの坂」冊子を参照した。
※栄橋は富士見市の渡戸橋・竹際橋のひとつ上流に架かっている、ふじみ野市の橋
※水車屋を始めたのは弘化2年(1845)で、大正の終わりごろまで約80年間営業。開業時には既に2軒の水車屋(砂川堀上流の大井町、下流の貝塚山)があったが、渡戸地区としては初めの水車屋でもあり、新水車と呼ばれた
プレーリーとは北アメリカ中部の草原地帯名。ドッグとは子犬のような声で「キャンキャン」と鳴くことから、プレーリードッグという名前が付いた。実は犬ではなくリスの仲間。大きさは30cm程度で体重1kg前後。
そのプレーリードッグが石垣の上で行き交う車・ヒトを見ている。スピードを出している車を見ると「キャンキャン」と警告を発しているのではなかろうか。その道路はふじみ野朝霞線(県道266)の富士見市鶴馬。
おそらく個人所有でしょうが景観もよく面白い石垣である。その石垣の反対側の歩道をゆっくりと散歩しながらプレーリードッグとアイ・コンタクトをして見てはどうでしょうか。心が和みます。
東上線の車内からも見える、あの管制塔のような魅力的な(?)建物は何だろうか? 建造物の近くの住民で知らない人はいないでしょうが、市民の方に聞いてみると、意外と知っている人が少ない。 その名前は 『鶴瀬西配水場』。 調べた概略を口コミします。
富士見市の高台や末端給水区域の水圧不足を解消するため、県水を直接高架水槽へ受水して、自然流下により配水する施設。平成4年(1992)9月に設立。高さ38.5m、配水池容量3,200立方メートル。現在は遠隔操作による無人運転。
※県水とは埼玉県大久保浄水場(さいたま市)で処理されて送られてくる水。富士見市はおよそ8割を県水に依存し、その施設は東大久保浄水場、水谷浄水場、鶴瀬西配水場の3ヶ所で受けています。
開校120周年記念碑
鶴瀬小学校は、
明治6年11月23日大字鶴馬来迎寺に、鶴馬小学校として開校以来120周年を迎える、
明治14年9月15日現鶴瀬公民館の場所に移転し、鶴馬学校と改称する。
明治22年4月21日鶴馬村と勝瀬村が合併して鶴瀬村が誕生したのに伴い、勝瀬学校と統合し鶴瀬学校となる。
明治25年4月21日小学校令により、鶴瀬尋常小学校と改称し、開校記念日を5月1日と定める。
明治39年7月20日鶴瀬尋常高等小学校と改称する。
昭和8年11月23日現在の地に校舎を新築し移転する。その時、地域の方より銀杏の苗が寄贈され、その後、60年間の歴史を見守り大銀杏へ成長する、現在この大銀杏が地域や本校のシンボルとなっている。
昭和36年頃より本市も都市化に伴い急激な人口増となり、鶴瀬西小学校、関沢小学校、勝瀬小学校、諏訪小学校と分離し現在に至る。心や勉学の拠り所であった卒業生の当時を偲ぶ熱き思いは、その後も、この地で育つ後輩たる児童たちによき校風として受け継がれているものと信じる。
ここに本校120年の歩みを記念し先人の偉業を賛え、更なる発展を願い、ここに記念碑を建立する
平成6年3月吉日
富士見市立鶴瀬小学校
開校百二十周年記念事業実行委員会
歴代PTA正副会長会
卒業生有志の会
抑々 當山の草創は遠く慈覺大師とも鎌倉時代とも云われているが定かではない 当時は西の方、柿沢に建立されたらしいが再三の火災に遭い その都度移転し此の地に再建されて現在に至っていると云い伝えられている 旧堂宇は今から凡そ三百年前に僅か数十戸の檀信徒各位の篤い護法崇祖の念と浄財によって建立されたものであった
爾来 年々発展し近在の信仰の道場として栄え わけても延享の頃より安政の頃にかけて、即ち秀順・永運・蓮海日光須・叡渕・義渕・智道・貫真・恵教・順海等の各和尚の徳を慕い遠く別所・内間木村・膝折方面からの参詣も盛んであった 然し明治の中頃から暫らくの間 無住の時代が続いた為に往時の面影が薄れてしまったのが残念である
近年に至り 先住眞海和尚来住し本堂・庫裡の大修理を行い境内等の整備が行なわれ信仰の道場として、又 ご先祖さまの永眠の霊場としてふさわしい姿となった
しかしながら幾星霜経た堂宇は損傷甚だしく ついに改築のやむなきに至り住職及び世話人各位の発願により建築委員並に檀信徒各位の五年間もの長期に渉る物心両面の尽力により現在の本堂が完成されたのである
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本堂落慶記念
昭和五十六年十一月吉日
散策していると多くの坂道に出会う。その坂道は昔、住所のかわりの目印として個性的な坂名がついているようだ。その名を知って歩くと、なんとなく富士見の歴史を感じることが出来る。
【油坂】
富士見江川に架かる「油橋」から山崎公園の正面入口の道を本郷方面へ向う坂である。この坂を上りきったあたりの左側に金子家がある。
金子家は昔、農業の傍ら油屋を商っていたことから、地元の人々は、この坂を「油坂」と呼んでいた。なお、旧金子家の母屋は明治4年(1871)建築の萱葺住宅であったが、現在、富士見市に寄贈され、市指定文化財として難波田城公園に移設、保存されている。
移築された旧金子家住宅を見ると、商家に多い揚げ戸(あげど)になっていること、土間が広いことなど、その特徴を知ることができる。
※坂名の説明は、ふるさと探訪部会の「ふじみの坂」冊子を参照した。
個人宅を改装した<小さな美術館(草蘆美術館)>と<山に関する図書館(山書館)>があります。ご主人の橘文夫さんが地域の方々との交流の場になればと、版画・日本画・陶器や山の写真集など、ご自身のコレクションを公開されています。毎年、水谷東文化祭などでの交流もあるようです。
無料で、かつご主人の丁寧な作品説明を聴きながら、鑑賞できます。11月からは、「写楽大首役者絵」の展示と聞いています。地元での芸術の秋、いかがでしょうか。
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場所/水谷東2-23-12 電話048-211-0573
開館日時/水・金・土 (10時~17時)
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※写真は10月、「富嶽三十六景」展の玄関での様子。右側に垣間見えるのが山書館
また今年も縄文の森コンサートに行く。出演者はサポール・アンターニョ(フォルクローレ)と高橋美智子(アルパ)。そしてコラボ。
フォルクローレの中で最も情熱的と言われるボリビア音楽、なかでも1970年~1980年代に演奏されてきた、古き良き時代のボリビアフォルクローレを再現するというコンセプトで結成されたユニットと案内にありました。
演奏曲は18曲。なかでも「コンドルは飛んで行く」、「コーヒールンバ」、「花祭り」など、散策人は馴染のある曲でおおいに満喫しました。
今年も縄文時代とつながる良い企画と思いました。企画に感謝です。やはりアンデスの音楽は人気が高く、展示館が超満杯でした。
※展示館での観客(下)とコラボ演奏者(上)の一コマです。