最新口コミ

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    難波田城公園・資料館

    難波田城公園 近くの田圃(南側)に、『ほんにょ』

     最近では、稲の刈取りから脱穀まで機械化されて「稲束の天日干し」を見ることは少ない。あっても 簡易の『はせ』を組んで稲束を掛けるぐらい。
     ところが写真のような、『ほんにょ』といわれる「天日干し」を初めて見た。当市では、おそらく珍しいと思う。遠くから見た時に、脱穀が終わった藁の『わらぼっち』と思いながら近寄った。
     調べて見ると、『ほんにょ』は地域的には東北に多いとある。「ねじり ほんにょ」が宮城県栗原市のマスコットキャラクターだった・・・円内・・・
    また、この不思議な名前の由来についても、いろいろ書いてあったがピンとこなかった。残念。

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    針ヶ谷氷川神社

    案内板の内容を写す。

    針ヶ谷 氷川神社

    御祭神 素戔嗚命(すさのおのみこと)
    祭 事  元旦祭 1月1日
          祈年祭 2月25日
          例大祭 4月12日
          大 祓 7月28日
          新嘗祭 11月28日
    由 緒
     創立年月日は不詳であるが、元禄年間に針ヶ谷村が川越領となり、舘村氷川神社(現・志木市柏町に鎮座)を分祀し、当社を創建したと云う(志木町字城山村社氷川神社社蔵記録)。
     明治5年、社格御制定の節に、古来より一村の鎮守であることから村社に列した。氏子の魂の寄り集う所として、また里人の唯一の慰安として殷賑を極めた。
     村民信仰の殿堂として、神徳極めて高く、社殿も次第に整い、現在の社殿は平成4年11月吉日に氏子の総意により完成を見たものである。
    平成5年3月

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    木染橋

    木染橋・・・木染ならず大應寺染

     新河岸川の川面に、逆さ大應寺の屋根が写っていた。
     そもそも木染という名前は、武蔵野台地(水子支台)の崖線の木々が川面を染めるというところに由来している。なかなか良い響きの名前である。
     今年の新緑の季節に、崖線の木々が大胆に伐採され殺伐たる景色となっていてガッカリした。だが木々の成長は早く、4~5ヶ月も経つと、それなりの景観となるようだ。
     写真は、新河岸川左岸下流に「水神碑」があるが、その付近から撮ったもの。しっかりと川面に景色が映っている。
     また木染橋のそばに『コスモスまつり』の看板があり、案内では10月7日(土)・8日(日)午前9時~午後4時となっていた。小さな丸枠内のコスモスの写真は木染橋から上流を見てコスモス街道を撮ったもの。

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    とんちゃんラーメン

    クチコミで行ってきました

    チャーシューはご飯に合うと確信しました。

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    むさしの緑地公園

    ミニ鉄道運転会の賑わいを見る

     30年以上の歴史をもつミニ鉄道運転会の様子を見たくて、初めて散策した。写真の通り、家族で楽しんでいる姿が微笑ましい。
     ミニSLのある公園は稀で、埼玉県では富士見市、川口市、深谷市の3ヶ所しかない。しかも富士見市は昭和55年国際児童年を記念して、全国の自治体で初めてミニ鉄道公園が完成させている。
     煙をはくSL(蒸気機関車)など、いろいろな列車が同時に走っているし、公園内の周回コースながら、鉄橋もあり、線路切替ありなど、かつ無料である。リアルティがあって見ているだけでも結構楽しめる。
     ミニ鉄道クラブの会員の皆様のボランティアで運営されているとのこと。お陰様で、「富士見市駅」を経由して、「希望の国」、「夢の国」に行けそうです。感謝です。
     ※日程表を見ると、今年の運転日は残り、10/8(日)、11/12(日)、11/26(日)、12/10(日)となっていた。

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    難波田城公園・資料館

    「なんばった」グッズ

    お気に入りの「なんばった」グッズです!
    施設内の売店『ちょっ蔵』さんで購入しました。

    カエルではありませんよ。なんバッタです😊🏯

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    榛名神社

    榛名神社由緒を読み写す。

    榛名神社由緒
    勝瀬総鎮守
    御祭神  埴山姫命(土・植物を司る神)
           豊受姫命(食物を司る神)
    年中祭事 1月1日  元旦祭
           2月3日  節分祭
           2月20日 祈年祭(豊作・諸事繁栄祈願祭)
           3月初午日 稲荷社祭(初午)
           4月10日 例大祭(神楽・囃子・植木市・露店)
           5月1日  塞祭
           5月10日 苗木市
           7月28日 夏越大祓式(茅の輪くぐり)
           11月適宜日 七五三
           11月20日 新嘗祭(新穀・諸事感謝祭)
           12月冬至日 冬至星祭
           12月28日 釜しめ 頒布
    由緒   詳細創立年代は不明。本社再建が文明9暦丁酉年(室町中期 西暦1477年)4月10日武州入東郡勝瀬村大願主林光防武州吉見領小泉村大工加藤杢之助と棟札に明記されている。川越城主松平大和守の崇敬あり毎年御供米一斗五升宛下附せられた。明治5年村社に列した(明治39年4月神饌弊帛料供進指定)

    伝説   当社の創建に関する地元の言伝え「お船山伝説」あり。一説は、昔この辺が海だった頃、榛名大神がお供のお二人方をお連れになり、船に乗られ遠くからここに来られました。船は無事に岸辺(現在の榛名神社の南端にあたる海岸線)に到着し、めざす陸地に上がることができました。岸辺に繫いでおいた船はいつか岸から離れ、海上を漂い、「お船山(神社南方約100mにある地)」に沈みました。ちなみにお連れは船頭の鷺森大権現様と大弁財天女様です。
          もう一説は、一行の船がお船山で沈み困ったが、神社南端の岸辺からのびていた大きな藤の木の蔦を伝って神様達が陸に上がりこの地に鎮座されたという説もあります。ちなみに神仏習合時代の榛名様を「日本藤島榛名満行大権現」と言った。

    境内および境外地   約2570坪
    摂末社
    稲荷神社   祭神 宇迦御魂命 例祭旧暦2月初午。天明3年(西暦1783年)建立と伝わる。明治40年6月5日字稲荷窪の稲荷社、稲荷前の稲荷社、屋敷廻りの稲荷社を合祀。その後複数の稲荷社を統合、合祀。
    厳島神社   祭神 市杵島姫命 創立年月不詳 享和壬戌年4月当村塩野源右衛門再営の棟札がある。船山弁財天と称したが明治7年5月、社名を改め当字谷田、お船山より遷座。明治41年6月17日、お船山より石碑をこの隣地に移転。
    富士神社   祭神 木花開耶姫命 明治41年年6月13日当字茶立久保、オトウカ山より移転。
    藤塚神社   祭神 稚産霊命 創立年月不明。寛政6年(西暦1794年)3月吉田願主塩野半平再建すとある。
    大穴天神社  祭神 大己貴命 創立年月不明。昭和27年5月社殿改築。
    疱瘡神社   祭神 大禍津日命 安永年間(西日本を虫害が襲った享保の大飢饉、東北地方等の冷害を発端とする天明の大飢饉の時代)村内にて建立したと伝えている。

    信仰
    万物育成 諸々増殖 大地守護 五穀豊穣 食物守護 厠守護。

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    みずほ台駅(西口)

    すずかけ通りにスズカケ(実)が見当たらない!

     みずほ台駅西口に真っ直ぐ向かう道(みずほ台駅西通線)は 『すずかけ通り』 の愛称であり、その看板も立っている。その通りの両側にプラタナス(スズカケ)の街路樹が沢山植わっている。インターネットで見ると平成21年10月では103本。
     この季節であれば、スズカケ(鈴懸)の実も見られるであろうと、昨日(9/16)、散歩した。だが、全く見当たらない!?
     道路沿いの店の方に聞いてみたが、実がなるんですか? 見たことがないと言われてしまった。そして、落葉樹で落ち葉が大変なので、毎年強制剪定が行われている。そのせいですかネ・・・
     散策人の頭の中は写真の窓枠の内容、仕方なく、隣の市で撮ったスズカケの実を使ってしまった。

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    難波田城公園・資料館

    トンボのシャッター・チャンスを求めて

     難波田城公園は散策で良く訪ねる。四季折々の花が資料館からも案内される。花も目当てのひとつであるが、もうひとつはトンボに郷愁・愛着がある。
     蓮に止まるトンボなど過去には写真にとっているが、今回の画像は、8月下旬のアオヤンマ(?)、9月上旬の赤とんぼ(アキアカネ)。
     実は名前は自信がないが、当公園は飛び交うだけでなく止まってくれるので、写真が撮れる、楽しみのスポットだ。

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    コロボックルの碑

    富士見市の有形文化財の説明板の内容を写す。

    有形文化財
    コロボックルの碑
    昭和50年11月1日指定

     コロボックルの碑(貝塚稲荷旧跡碑)は大正元年に建立されたものですが、碑文に記された建立の事情こそ富士見市の文化財保護の原点を示すものです。
     建立の5年前、東京帝国大学の学士十数名がこの地を訪れました。彼等は貝塚山から採集された土器や石器を見て 「いにしえのコロボックルが残したものである」と説明しました。「コロボックル」とはアイヌの伝説に出てくる先住民であり、当時は、縄文土器や石器はコロボックルが残したものという説がとなえられていました。その3年後に稲荷神社の跡地を開墾したところ、古墳時代の人骨と鉄刀が発見されました。発見者は人骨を神社に改葬し鉄刀を帝室博物館に寄贈しました。以上の顛末を記念して建てたのがこの石碑です。

    富士見市教育委員会

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