コスモス街道
コスモスが咲いていました。コスモスまつりは9/28・29の看板あり。
今日(9/19)は珍しく秋晴れとなり、若干暑めではありましたが新河岸川沿いを歩きました。コスモスが咲いていて、蝶もみずみずしい花に次から次へと飛んでいました。コスモスまつり(9/28(土)・29(日))の看板がありました。1週間程あるので例年のように沢山咲くのを期待したいです。
※写真は9/19の開花状況です。
今年の星空シアターは、国史跡指定50周年・開園25周年ということで、日本で最大級の貝塚がある茨城県美浦(みほ)村から、「陸平(おかだいら)をヨイショする会」との交流イベントがありました。
イベントは縄文時代のムラの交流を再現した寸劇で、非常に興味深いものでした。
ムラの長は「オサ」と呼ぶようで、水子ムラのオサが星野市長。そして友好の証しとして、陸平ムラで作られた「塩」を水子ムラに、水子ムラからは「ムササビ土器」を陸平ムラに、交換されました。そして一緒にコーラスというものでした。
おそらく縄文時代にはコーラスはなかったでしょうが、似たような手法で友好関係を醸成したであろうと想像は出来ました。
※写真は交流イベントと園児たちの踊りの賑わいです。
市域では、ガマの穂が見られるのは難波田城公園だけと思っていましたが、他に2ヶ所見つけました。
最近ではほとんど見る機会がなくなりましたが、見ると「因幡の白兎」や唱歌「大黒様」を思い出します。
そうです、大国主命(おおくにぬしのみこと)が傷み苦しんでいる兎に教えました。 『河口に行って真水で体を洗い、そこに生えているガマの花粉を取ってその上で寝ると良い』と。
暑い季節ではありますが、散歩していると珍しいものに出合うことがあり、うれしくなります。
イチョウは榛名神社のご神木、みずほ銀杏通り、鶴瀬小のイチョウ並木など、いろいろな場所で見かけます。イチョウの本を読んでいたら「2億年ものあいだ存続している」とのこと。改めてイチョウを観察したら、手を合わせてしまいました。
2億年というと、あの恐竜が出現・繁栄、そして絶滅の時代を生き延びたことになります。現在のイチョウは、世界中で見られ、自然繁殖ではなく基本的にヒトが植えたものだそうです。
種子は珍味となり、植物油や薬として使われ、特徴のある葉と長寿を誇るこの木は、仏教、道教、儒教において象徴的な存在となり、日本古来の神道とも結びつき、崇められる存在になったことが大きかったようです。
1億5000万年前より古い時代に起源をもつ動植物のほとんどが絶滅していることを思えば、イチョウが2億年ものあいだ基本的に変わらないまま存続したのは奇跡としかいいようがないとのことです。
昔は村名、字名は一部の居住する地域に限られていたため、名のない地域の目印として坂名や塚名があったと考えられます。坂名のある坂付近には神社・仏閣・石仏・湧水などが多いですが、その坂も現在では道路の改修等により、曲つていた坂が直線的になったり、急坂がなだらかになったりして命名された時代の坂とは異なってきているものの、散策していると富士見の歴史を感じ取ることができます。
【観音坂・お観音の坂】
鶴瀬小学校から北に向かうと交差点「羽沢」→交差点「渡戸」を通って台地(鶴瀬支台)から砂川堀の渡戸橋へ移るところは急坂であった。坂の上には「渡戸観音堂」が建てられているので、「お観音の坂」と呼ばれていたが、いつの間にか「観音坂」と呼ばれるようになった。
昭和7年~8年(1932~33)にかけて道路改修工事が行われ、現在の比較的なだらかな坂に変わった。坂の傍らには、道路改修工事「竣工記念」の碑が建ち工事請負者はもとより、鶴馬村青年団の多くの勤労奉仕があったことを知ることができる。
※坂名の説明は、ふるさと探訪部会の「ふじみの坂」冊子を参照した。
二毛作により、田植えがやや遅い水田に、このような鳥の風景が見られます。
うっとうしい梅雨時に、じっくり鑑賞するのも、また楽しいです。
6/2(日)午前10時から難波田城公園まつりが行われていました。
このおまつりは、火縄銃演武がメイン・イベントでしょうが、その前に、真逆の、大変ノスタルジックな雰囲気のプログラムが用意されていました。
下段: 南畑小学校鼓笛隊の演奏 (鼓笛隊は市域では南畑小学校だけだそうです)
上段・ 舞鼓(和太鼓)の飛び入り参加による演奏
古民家の前での演奏、古民家でのいろいろな体験、模擬店、はたまた人力車も走っている、面白い空間でした。
この頃の夕日・夕焼けは水田に良く映る。堂平山と笠山の丁度山間に夕日が沈む。
おそらく2週間ぐらいの間は、このような景色が南畑地区で楽しめると思います。