三井ショッピングパーク ららぽーと富士見
師走入りのららぽーと夜景とツリーと三日月と
今年も早いもので師走になりました。そろそろクリスマスなどの歳末商戦で賑やかになりそうです。
今日は忘年会の帰りに「ららぽーとの夜景」の色彩の変化をゆっくり楽しみました。また、ツリー越しには、やや太めの三日月(五日月くらい)の夜空でした。
今年も早いもので師走になりました。そろそろクリスマスなどの歳末商戦で賑やかになりそうです。
今日は忘年会の帰りに「ららぽーとの夜景」の色彩の変化をゆっくり楽しみました。また、ツリー越しには、やや太めの三日月(五日月くらい)の夜空でした。
アカシデ(赤四手、赤垂)は、カバノキ科クマシデ属の落葉高木です。
新葉の芽だしが赤く、また神社の注連縄(しめなわ)に使われるシデ(紙垂)に雄花の花穂が似ていることからアカシデが和名の由来です。
アカシデは若芽も必見ですが、秋の紅葉も必見です。
昨日(11/23)の雨模様の撮影で少し「もやっ」ています。(上)公園の円形で正面がアカシデ、(下)その横顔です。
今日、新河岸川を散策していたら、カワウが翼を広げて乾かして(?)いました。きっと魚を獲って水に濡れたのでしょう。このような優雅な姿を見るのは初めてだったので投稿しました。
いままでは、富士見江川で「カワセミ」と遇うことが多かったのですが、最近は新河岸川で見かけます。静止してい姿と羽を広げた動き(ちょっとボケていますが)の写真を投稿します。
都会の街路樹風に見えますね。紅葉が始まった場所はどこでしょう? そうです、「キラリ☆ふじみ」側の街路樹です。文化とショッピングを楽しむ散策の季節となりました。
昔は村名、字名は一部の居住する地域に限られていたため、名のない地域の目印として坂名や塚名があったと考えられます。坂名のある坂付近には神社・仏閣・石仏・湧水などが多いですが、その坂も現在では道路の改修等により、曲つていた坂が直線的になったり、急坂がなだらかになったりして命名された時代の坂とは異なってきているものの、散策していると富士見の歴史を感じ取ることができます。
【堂 坂】
武蔵野台地が一挙に諏訪(折戸)、山室の水田地帯に移行する崖に作られた急峻の坂であった。坂の狭い両壁がビルの谷間のようで、富士見市で最も急坂で知られていた。この坂の崖の上にお堂(山室地蔵堂)があったことで堂坂と呼ばれるようになった。堂坂の上にたてば眼下に北より勝瀬、山室、折戸、宿の広大な緑の穀倉地帯の水田が一望できたという。
昭和48年(1973)の市役所移転以前の堂坂は、南畑方面からの農家の人たち専用の農道にすぎなかった。今は市役所、キラリ、ららぽーとに通じる坂である。
※坂名の説明は、ふるさと探訪部会の「ふじみの坂」冊子を参照した。
今年の星空シアターは、国史跡指定50周年・開園25周年ということで、日本で最大級の貝塚がある茨城県美浦(みほ)村から、「陸平(おかだいら)をヨイショする会」との交流イベントがありました。
イベントは縄文時代のムラの交流を再現した寸劇で、非常に興味深いものでした。
ムラの長は「オサ」と呼ぶようで、水子ムラのオサが星野市長。そして友好の証しとして、陸平ムラで作られた「塩」を水子ムラに、水子ムラからは「ムササビ土器」を陸平ムラに、交換されました。そして一緒にコーラスというものでした。
おそらく縄文時代にはコーラスはなかったでしょうが、似たような手法で友好関係を醸成したであろうと想像は出来ました。
※写真は交流イベントと園児たちの踊りの賑わいです。